東京永久観光

【2019 輪廻転生】

分からなさを辿りなおす


生まれつき仕事が不得意とはいえ、さすがに先送りできなくなる時期はやってくる。そんな週の終り。書類を軽く片づけ夕飯を食べに外へ出た。さて何か読むものが欲しい。駅前書店には新書や雑誌がずらりと並ぶ。しかし、その本を自分の中に取り込んで理解して消化してというのではだめで、なにかこう、自分のほうがその中に消化されてしまいたい気分なのだ。

そうするとやはり小説か。しかも、ジャンルがはっきりして楽しみ方が予測できるものよりは、何の話かよく分からず読み進まざるをえないもののほうがよい。かといって全く知らない作家では、これまた、何の話かよく分からない小説なのかどうか自体が分からないので、安心できない。

と思っていると、目の前に『カラマーゾフの兄弟』計4巻が平積みになっている。何を隠そう私は「カラマーゾフの兄弟を読んだことがある人」だ。少し胸を張りつつ手に取ってみる。……今すぐこの中に溺れたい。と、その19世紀大小説の脇に、隠れるようにしてではあるが文庫版『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』が平積みになっているではないか。私は「アンダンテ・モッツァレラ・チーズを読んだことがある人」でもある。やや懐かしくページを開く。……私もまたこの20世紀と21世紀の変わり目のごった煮の具のひとつとなってこの中に帰っていきたい。


 ◎ カラマーゾフの兄弟(光文社 古典新訳文庫)asin:4334751067
 ◎ アンダンテ・モッツァレラ・チーズ(小学館文庫)asin:409408200X


結局この夜は、去年タイを旅行したときに綴っておいたノートを読むことにした。少しずつパソコンに書き写しているのだ。考えてみれば、これこそ、一度味わった不可解な体験を好きなように反芻する行為といえる。カラマーゾフの兄弟をひとつひとつ自分の言葉で噛み砕きながら翻訳していく生活なんて、この上ない愉悦であるにちがいない。しかしまあ、自分の日記を書いた人物というのは、ドストエフスキーさんよりも遥かに自分に似ているのであるから、その写し換えはある意味至上の面白さを運んでくる。

十代後半と二十代前半は手書きの日記をこまめにつけていた。膨大だがこれもいつか読み返し書き写したいと考えている。一粒で何度もおいしい(あるいは何度もまずい)人生。


タイ日記はこちらでも少し反芻できる。http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20060423#p1



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全く記憶にないが、全否定するほど記憶が確かでない(久間さん)


♪きみがすべてしっているとおもっていた〜(Kyon2)