東京永久観光

【2019 輪廻転生】

おまえいつまでそんなことばっかり


週刊文春などを珍しく買う。暇つぶしもあるが、やっぱりあの小沢騒動の内幕がいくらか気になった。で、その冒頭記事「小沢一郎 逆ギレ辞任の真相」。辞意撤回より前に書かれた記事のようだが、それなりに面白い。しかしそれより見逃せないのは、口を見事にへの字に曲げた小沢さんの大きな顔写真に、なぜか「小鳥が好き」というおかしなキャプションが小さく小さく付いていることだ。は? なんだこりゃ。記事の最後に記してあったその意味はさておき、この頑固偏屈な気性と風貌、くわえて小鳥好きとくれば、これはもう内田百間ではないか! 私はじつは、百間が憎めないのに似たかんじで、小沢という男もどことなく憎めないのであった。(というか、百間みたいと思ったら、憎めなくなったというか)

ナベツネさん。まあ世の中にはこういう人物がどうしても存在してしまうということだろう。いや、このような力を持つ人物にあわよくば自分もなりたいと願っている大人は、案外けっして少なくないのだ。だから、「この俺がなんとしても大連立を達成させねばならない、そうしなければ俺は死ねない」とまで思い込むことを、べつに幻想と呼ばなくてもいい。それはたとえば、ブログ上の傍目には瑣末なディスカッションにおいて「あのように愚劣な意見はこの俺がなんとしても論破せねばならない、そうしなければ俺は死ねない」と思い込むことを、幻想とは呼びたくないのと同じだ。さらに言うなら、「俺はどうしても旅客機で貿易センタービルに突っ込んで死ななければならない、そうしなければ俺は死ねないのだ(ちょっと意味がおかしいが)」とまで思い込むような人物が、この世の中にはどうしても存在してしまうのも、やっぱりなかなか止められはしないのだろう。「平和憲法をどうしても守らねば、ボクはもう死んじゃうんだよ」「自衛隊なんか無くそう、世界の軍隊も全部なくそうよ、できないはずがないじゃないか」、とそう信じこむ稀人がこの世に常にいくらかは現れてしまうこともまた、なかなか止められはしない。実につまらないおまけとして付け足すと、守屋みたいな輩が出てくるのもたぶんなかなか止められない。

ナベツネさんは81歳だそうだ。枯れないというかなんというか。それでふと思い出した。『80年代地下文化論 講義』(asin:486191163X)で宮沢章夫が面白いことを指摘していた。

《このあいだ、大西巨人さんの小説を読んで、「86歳なのにまだ考えてやがる」と驚愕したんですね。(略) 86歳で考えてるという姿勢に感動すらするよね。いまだに、「オウム真理教事件と日本の天皇制というのはもしかしたら同じ構造ではないか」ということについて、小説の中で議論してる。その議論に中に、読者も巻き込む。「ずっと考え続ける」ということを、小説の姿で表してる。それはほんとうにすごい。》(p429)

ちなみに、その大西巨人の小説のタイトルは『縮図・インコ道理教』だとか。はからずもまた小鳥が出てところで…。

『80年代地下文化論 講義』はそれとは別に非常に面白かったので、またいずれ。