東京永久観光

【2019 輪廻転生】

思い出の土砂降り


1972年に大ヒットした「カリフォルニアの青い空」という歌がある。アルバートハモンド。その歌詞がじつはそう能天気なものではなかったことを初めて知ったという話。http://d.hatena.ne.jp/yinamoto/20071003#p1

私もきょうのきょうまで知らなかった。

「カリフォルニアの青い空」は当時ラジオの深夜放送などでよく聞いた。「It never rains in California」で、英語では雨降りにも形式主語「it」が付きます、という実地の勉強もしたとおもう。「It pours」という部分の歌声も耳に残っている。しかしそれが「土砂降り」の意味だとは気づいていなかったわけだ。

歌詞と訳はこちらにも。http://www.eigo21.com/03/pops/itneverrains.htm

アルバートハモンドが実際に食えなくて苦労したというエピソードも書いてある。http://www.eigo21.com/03/pops/72.htm

単純な耳タコだったのに、こんなに微妙なわけありの歌だったとは。そのころは私こそが能天気な中坊だった。まわりの友達もみな能天気にみえた。そうすると、でもじつは友達の誰それだけは笑顔の下に大きな悩みを隠していたんだよ(私自身だってもしかして)、なんてことが今になって明かされる、というようなことも今後あるのだろうか。

アルバートハモンドは翌年「落葉のコンチェルト」というバラードもヒットさせた。「カリフォルニアの青い空」のイントロが泥臭いのに比べ、こっちはピアノのアルペジオ。センチメンタルないい歌だった。でもシングル盤は日本だけで、世界的な話題にはならなかったらしく、YouTubeにも出てこないという。そのせいか、私も「落葉のコンチェルト」のことはその後すっかり忘れていたようだ。数年前に偶然この歌とどこかで再開するまで。そういう子供の頃の忘れものって、他にもいっぱいあるんじゃないだろうか。そういえばきのう『世にも奇妙な物語』でなんか似たようなドラマをやっていた。松本人志の44歳誕生日企画番組があまりに面白すぎて、ほんのチラリとしか見なかったけど。

ただ私が本当に好きなのは、アルバートハモンドではなく、ギルバート・オサリバンだ(といってもバートしか合ってない)。「アローン・アゲイン」そして「クレア」(1972~1973年)。「クレア」なんて、もうあのアコースティックなイントロと口笛がスピーカから鳴り出せば、部屋のなかの空気が一斉に温かく優しく微笑んでくれてしまう。私にとって永遠の名作だ。

永遠とは大げさなと言うかもしれないが、自分の過去を振り返るに、心底気に入った歌というのは無数にあるようで案外少ないものであり、しかも重要な出会いはやっぱり多感な時期にやたら集中してしまっていることも、だんだん分かってくる。だから私には「クレア」みたいな歌は、この先もう出てこないかもしれないのだ。

「クレア」はYouTubeにあるので一応。http://www.youtube.com/watch?v=6N057F6sNNM&mode=related&search=

アローン・アゲイン」の歌詞も訳してある。http://www.eigo21.com/03/pops/alone.htm 「一つの節がえらく長い」と指摘されているが、たしかにそうだ。だから訳そうと試みていつも途中でやめてしまったのか。そんなことも思い出す。メロディーラインも同じフレーズの繰り返しがなく凝ったコード展開を伴ってずっと一続きでワンコーラス続いていくかんじ。それでも「Alone again naturally」という締めくくりの一句があるので、全体のイメージを間違えて受けとめることはなかったとおもう。「Reality came around」などがなんとなく耳に残りもしていた。

ちなみに、上のブログ(http://d.hatena.ne.jp/yinamoto/20071003#p1)に「ソングブック」(ニック・ホーンビィ)という本が紹介されていて、そうだ流行歌ってかけがえなくいいものだと、改めてそう思った。その本もぜひ読んでみたい。

もうひとつちなみに、「It's raining cats and dogs」という表現もあるよと、宇多田ヒカルがこの前ブログに書いていた。http://www.u3music.com/message/(9.11)

ちなみに、「ちなみに」というのは、文章の構成として最低のように言われるが、私たちの思考も情緒も回想も、ちなにみの無限連鎖で進んでいくのかもしれないので、べつにいいのではないか。「結論を最初に書け」なんてのは結論が固まっていて急いで説得することに利得がある場合の効能にすぎない。「論文の作法」というのも常にもてはやされるが、ここの文章などが論文であるわけもない。そうはいっても、こうした文章だって、それなりにいろいろややこしい力加減のバランスをとる必要はあって、結局この順番しかないだろうと収まっていった1つの答えなのだ。ちょっとでも関係あることやきょう気づいたことは、とにかく鞄の隙間をみつけて漏れなく詰め込んでおく手法というのもある。いずれも、あるひとつの世界を構成するために妥当な論旨であり欠かせない部品なのだ。Google人工知能は察してくれないかもしれないが。

http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2007/10/01/1289