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【2019 輪廻転生】

岩波新書『がんとどう向き合うか』(額田 勲)


がんとどう向き合うか (岩波新書)


できれば「どうしたらがんと向き会わずにすむか」を教えてほしかった。でもそれはかなわない。年をとれば2人に1人はがんになってしまう時代だ。年をとってブロガーになってしまう人もこれからは増えそうで、それもなんとなく困ったことだが、そんなものの比ではない。

かといってこの本は「がんにどう打ち勝つか」ではない。闘ってもそうそう勝てる相手ではない。治らない。そして死ぬ。徹底抗戦ゆえによけい苦しみぬくこともある。それでも、かつてのベストセラーのように「患者よ、がんと闘うな」とも言い難いのだろう。なぜなら白旗の意味はがんには伝わらない。私ががんをシカトしても、がんは私を包囲する。なんだか厄介な隣国を思わせる。

結局「がんとどう向き合うか」に行き着かざるを得ない。

人間とは要するにがんで死ぬ動物なのではないか。最近そんなふうに思う。長く生きて細胞分裂の回数が増えれば、もう宿命的にがんは生まれ広がってしまう。ウイルスなどの外敵はあまり関係なく、身体自らに埋め込まれたプログラムであるかのごとく感じられる。脳出血や心疾患もがんに並ぶ重病といえるが、こちらは今流行りのメタボであって生活習慣による改善の余地がまだしもありそうだ。しかしがんはどうも違う。そもそも克服などできないのが、がんなのではないか。その印象が、この本を読んで濃くなった。

胃がんなどの生存率向上。早期発見、早期治療のスローガン。しかしその陰で、通常の検診では見つけにくいうえに、どうしても治らないがんは、あいかわらずのさばっている。知っているのになぜかちゃんと見つめてはいないその事実に、著者は注意を促す。今や最もポピュラーな肺がんはその代表だ。さらに、診断された件数がそのまま死亡数とまで言われるらしい膵臓がん等の深刻さにも触れている。

こうした難治性のがんに罹るとどうなるのか。それがこの本のさらなるハイライトだ。著者は病院長として関わった患者の方々を例に、凄まじいがんの病状と多くの場合敗北にいたったその苦闘を報告している。がん難民を生み出す医療制度の問題も知らされるが、なんといっても身につまされるのは、がん自体の苦痛そして恐怖だ。「そうなったら安楽死さ」とつい口にしたくもなるが、こうした報告例からは「やはり一日でも生きたい」という最後の願いは誰でもことのほか強いことも思い知らされる。

……そうなるとやっぱり、こんな悪魔と自分が向き合いたいなんて、さらさら思えない。たしかに、私たちの多くはがんに捕まってしまうだろう。逃げても逃げきれない。じゃあ向き合うか。でも向き合ったところで、たいていそのまま殺されるのだ。そんな悪魔と向き合う意味が、どこにあるのだ!

……いやそれでも、私たちは、がんと向き合うことで、初めて、死というものと、実質的に、計画的に、向き合うことができる、とは言えるのではないか。

読みながらこんなことを思ったりメモしたりしたのだが、著者も最後にそのようなことを述べているので、うれしく共感した。

実に、がんという疾患は格別に非日常の事件の一つと思われながら、客観的に見ればごくありふれた日常の出来事ということもできる

言い換えれば人の一生において日常(生)と非日常(死)をかくも密に収束させてくれるのが、がんに罹患の日々ともいえる。要するにがんはいろいろと非活動的な日常を強いるけれど、一方でまだ少々、時間的な猶予を与えてくれる病なのである。ひとまずそういう生き方を可能にするまでに人間も医学も到達したということであり、それががんと共存することの本質的な意味の一つではないだろうか

「あなたはいつか必ず死ぬのだ」といくら言われても地球温暖化みたいでピンとこない。それに対し、「あなたはいついつがんで死ぬのだ」と言われれば、絵空事でなくなるのだ。

老衰で死ぬのがどこか凡庸で散文的だとしたら、がん死はいくらか詩的なのだろうか? 詩的であるがゆえの劇的な苦しさと悲しさ? いやそんなことはない。美しい詩はあっても、美しい死などない。がんのおかげで悟りの境地に至れそう、でもない。ただただ転げ落ちるばかりのみすぼらしい現実がそこにあるに違いない。しかし、私たちの生がやがて訪れる死を免れないというのは、そもそもそういうことだったのだ。

そして著者はこうも書いている。

昨今ぎらぎらと生の頂点を誇示する者は多いが、その生を死において高められる人はまれである》。

ただし、著者はそのまれであることを嘆くのではなく、そのまれであった個人の存在を報告例として教えてくれているのである。がんを正直に誠実に見つめ、そしてその絶望には見合わないまでも、最後の貴重な勇気をいくばくかは確実に与えてくれる、そんな一冊だった。(ちなみに、著者自らもがん患者となり逡巡のすえ手術を選んだこともケーススタディー的に明かされている)

著者 額田勲氏の名前から、以下の講演を見つけた。こちらはまた別個に重要なことが指摘されている。その人柄や活動がやはり尊敬に値するものであったことも確信した。

http://www.valley.ne.jp/~sakuchp/gyouji/daigaku/summer03/no12jusyou/nukada03/nukada.htm

参照(過去ログから):http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070517#p1