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【2019 輪廻転生】

佐藤優『国家の罠〜外務省のラスプーチンと呼ばれて』(ASIN:4104752010)


評判どおり実に面白かった。


国会プロレス「宗男vs眞紀子」の舞台裏

9.11の報復でブッシュがアルカイダの影を追いアフガニスタンに攻め入ったころ、日本では鈴木宗男田中眞紀子外相の闘争が激しくなっていた。やがて鈴木宗男は、かのムネオハウスに端を発した疑惑で逮捕され、政界から一度抹殺されてしまう。

国会プロレスのまさに悪役だった鈴木宗男。「疑惑の総合デパート」とまで呼ばれたが、強烈な信念の政治家でもある。とくに北方領土返還を目指したロシアとの交渉では余人をもって代え難い役割を果たしてきた。そうした政治活動を通じて深く根を張ることになった外務省で、鈴木の懐刀として図抜けたはたらきを見せていたのが著者の佐藤優だ。ロシア情勢の収集と分析を専門とする同省職員だった。

佐藤は鈴木宗男の訴追に巻き込まれる形で逮捕された。職務として行ったことが背任などに当たるとされたもの。外務省内の足の引っぱり合いも影響したようだ。佐藤は否認を貫く一方、512日間に及ぶ独房生活の中で「なぜ私は逮捕されたのか」と自問し続ける。取り調べにあたった検事は「これは国策捜査だ」と告げたという。一言でいえばそれが答。国家方針の転換に基づく組織的な意図によって鈴木と佐藤は犯罪者に仕立てあげられた。そう著者は考える。

その執拗な思索を記したのがこの書『国家の罠』だ。

日本の外交そして検察とはいかなる原動力や内情によって駆動しているのか。一般人はそのようなことに縁がなく考える機会もあまりない。ところが、北方領土に絡んだロシア情勢、そして今回の鈴木と佐藤の逮捕という具体的な出来事がこと細かく再現されるなかで、それがありありと見えてくる。本当にいろんな秘密と実態を知ってしまった気にさせられる一冊だ。

一審の法廷で行われた被告人最終陳述の内容が掲載されている。著者の結論がまとまっていると言える。陳述4点のうち最初の1点《今回の国策捜査が何故に必要とされたか》について抜粋しておく。

私が逮捕されたのは、私が鈴木宗男と親しかったからである。検察は私の逮捕を突破口に外務省と鈴木氏を結びつける事件を作りたかった。(略) 問題は何故に鈴木宗男氏が国策捜査の対象となったかということです
小泉政権成立後、日本は本格的な構造転換を遂げようとしています。内政的には、ケインズ型の公平配分政策からハイエク型傾斜配分、新自由主義への転換です。外交的には、ナショナリズムの強化です。鈴木宗男氏は、内政では、地方の声を自らの政治力をもって中央に反映させ、再配分を担保する公平配分論者で、外交的には、アメリカ、ロシア、中国との関係をバランスよく発展させるためには、日本人が排外主義的なナショナリズムに走ることは却って国益を毀損すると考える国際協調主義的な日本の愛国者でした。鈴木宗男氏という政治家を断罪する中で、日本はハイエク新自由主義と排外主義的なナショナリズムへの転換を行っていったのです》。


国益という公理系

佐藤優Wikipediaに「異能の人」と書かれている。たしかに、どのページからも職務に対する鬼のような一徹ぶりが沁み出してくる。この恐るべき人物の原点にはいったい何があるんだろうと考える。

まず、相手がロシア高官であれ特捜の検事であれ、その本音や背景の力学を見きわめ最善の対策を探り当て駆け引きできるだけの知性。加えて、鈴木宗男との絆に代表される個人間の友誼や約束をけっして裏切らないという信条。同書を読むかぎり、それらが顕著に感じられる。

しかし、それにも増してくっきりと浮かんでくるキーワードがひとつある。「国益」だ。

国益というタームは、政治や経済に関する常識を備えた大人なら直感的に通じ合うものになっている。今回のテーマでいえば、北方領土の奪還などはまさに日本の国益とされる。著者が金銭や名誉を求めた行動はまったくしていないと語っていることもそこに結びつく。ロシアの人脈を作りあげ情報を積んでいくのも、徹夜をいとわず正月も返上して仕事にあたるのも、ひとえに国益のため。そうした意識が強く感じられる。取り調べの受け答えやこの本の著述において何を明かし何を隠すべきか、それも対ロシア外交の前途のみをひたすら優先させている。さらには、鈴木宗男が見せしめの罪人にならざるを得なかったことも最終的な国益にはかなうことになる。そんな諦観がにじんでくる。

ところが、国益とはなかなか不思議な価値基準でもある。「それは何のため?」と問われて「国益のため」と答えられることは多いが、「ではその国益は何のため?」と問われるとはっきりした答がないようにも思えるからだ。そうなると、「国益とはいわば公理なのだ」と捉えるのがよいかもしれない。

公理とは。たとえば「平行な直線は交わらない」といった原則を思い浮かぶ。この原則は幾何学において他の様々な定理を証明するのに有効だが、その原則自体を証明することはできそうにない。そこで「平行な直線は交わらない」はもう証明しなくても明白に真ということにしようよ、ということになった。ところが実は「平行な直線は交わらない」は面が平坦であると仮定した場合のみ成り立つのであり、たとえば日本とアメリカでそれぞれ南北に引いた直線は平行であっても北極や南極では交わってしまう。そんなややこしい話が絡むようになって、数学的には「公理とは早い話が仮定なのだ」ということになっている。

その比喩でいくと、多くの人はこの世の中を「国益という原則が無条件に成り立つ公理系」として捉えているようにみえる。しかし公理系はひとつではない。少なくとも数学的には平行線が交わらない世界も平行線が交わる世界もともに想定できる。この現実世界も別の公理系として捉える立場は可能だろう。これをめぐっては、「平和か戦争か」の対立を「公理系の違い」とみなそうという話を昔書いた。http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040202#p1

そういうわけで、「国益の公理系」があるなら、たとえば「人権の公理系」だってあるではないかと考えてもよい。もちろん人権こそは絶対に譲れない価値基準だと信じる人もまた多いが、たとえば山形浩生などによればそうでもない。

てなことをふと思ったのは、同書の以下のくだりを読んだときだ。

そもそも外交の世界に純粋な人道支援など存在しない。どの国も人道支援の名の下で自国の国益を推進しているのである。ロシアとしても、「日本の人道支援を有り難く受け入れる」との姿勢をとりつつも、日本のカネを使っていかにロシアにとって有利な状況を作るかを考えている。
 特に領土問題は国益に直結するので、北方四島の人道問題、人道支援を巡っては虚々実々の駆け引きが両国の間で行われていた。私を含む東郷和彦氏に近い「ロシアスクール」外交官は、モスクワでのロビー活動を「西部戦線」、北方四島への支援を「東部戦線」と呼んでいた。どちらも目に見えない「戦争」だった

北方領土への人道支援はそこに住むロシア人やそこに住んでいた日本人の救済を本当の目的とはしていない。同様のことは、6カ国協議をめぐる国益拉致被害者の人権とが必ずしも両立しないような事態にも典型的に現れてくると思う。

国益か人権か(国権か人益か)。そんな選択がしたいわけではないし、選択できるものなのかどうかも定かではない。ただ、国益ってやっぱりよく分からない観念だなと改めて感じるのだ。だから著者佐藤優について、その実践的な知性はまことに羨ましく、その友誼の信条も100%好ましく思うのだが、国益を不動とする認識への理解が私には足りない。


けっこううまい クサい飯

ちなみに、同書では拘置生活の実態もうかがえた。特殊な事件ゆえに自分が入れられた独房をむしろ幸いな境遇と捉え、読書と思索に集中する著者の怪人ぶりがまずもって面白いのだが、それに加え、食事がけっこううまいというのも興味深かった。正月の特別メニューも詳しく記録してある。

それで思い出したのは、一部民間委託された刑務所(拘置所ではないが)の話題で「クサい飯は本当はうまい」というこの記事。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/0908/TKY200709080169.html

だからというわけでもないが、一度くらいは本当に牢屋に入ってみて、クサいのかクサくないのかよく分からないその飯もためしに味わってみたいものだと、夢想する。

その一番の早道は何だろう。たぶん交通違反をすることだ。ご承知のとおり反則金の切符を渡される。その段階では行政上の処分だが、それを延々放っておくと、ついには刑事事件として起訴されるという。簡単な裁判で反則金に応じた罰金が科せられる。その際、罰金の代わりに同額に相当する懲役を選んでもいいらしいのだ。せいぜい数日間のおつとめ。ただし、晴れて前科一犯となるのでご注意を。あなたがやくざならそれもカッコいいが、将来 国から勲章でももらおうという場合には障害になるという。以上すべて、かなり昔に事情通から聞いた話なので、実行の際には自ら詳しくご確認ください。


文盲国民の回想

それにしても、「宗男vs眞紀子」そして「外務省vs眞紀子」のデスマッチは見ごたえがあった。これについてある外務省幹部は「日本人の実質識字率は五パーセント」と嘆いたと、同書には書かれている。「ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく」と憤慨しているのだ。どうもその95%側に属する私も、調子にのってつまらないパロディを作った。自戒も込めて振り返る。とはいえ、政界における鈴木宗男の好感度は今の私には決して低くないし、当時もことさらな恨みや蔑みを感じていたわけでもなかったように思い出す。

http://www.mayq.net/kasume05.html
http://www.mayq.net/kasume06.html
http://www.mayq.net/kasume07.html(anime)
http://www.mayq.net/kasume08.html