東京永久観光

【2019 輪廻転生】

『大日本人』―松本人志の最高峰(追記7.21)


前評判がほとんど聞こえてこなかったので期待もそこそこに足を運んだところ、ああ驚愕、逆転満塁場外ホームラン! 

ヘンなデキモノみたいな違和感から来るいわばじくじくした笑いの持続。そこに「ええっ、大日本人ってそういうことなわけ!」に代表されるもはや唖然として高笑いするしかない奇天烈な転回。そんな独特でおなじみの世界が、やはりテレビとは比べものにならない大画面と大音量、さらに細部まで徹底したリアリティーでもって炸裂する。

頭をガンと殴られた感は、私としては『田園に死す』や『ゆきゆきて、神軍』に匹敵した。美術や演劇を含めてもこれほど面白がれた表現物はなかなか思い出せない。きょうびの芥川賞なら10作くらい束になってもかなわないだろう。

しかし考えてみれば、それほどの衝撃も当然予測してかかるべきだった。なんといっても松本人志の集大成、総力戦とおぼしき大チャレンジなのだ。それにしては、カンヌの皆さんはさておき日本の皆さんがなんでもっと大騒ぎしないのか、不思議。

映画としてどうかという批判もあるかもしれない。しかし思うにこれはいわば松本というジャンルなのだ。それが時にコントになり司会になり映画になるだけのこと。ヨーロッパの日本通や映画通も、たとえば「アニメ」という日本発祥のジャンルを尊重するのであれば、「マツモト」もまた別の固有ジャンルなのだと認識を改めるべし。もちろん『千と千尋』が急には理解できないように、『大日本人』もいきなり堪能できないのは仕方ない。『ごっつええ感じ』などから入門されたし。

大半の映画は、劇場から一歩出ると今までその虚構の世界に没入していた自分が恥ずかしくなるような冷め方をするものだ。ところがごく稀に、むしろ外に広がる現実や自分のほうがこれまでとはひとつ違った世界に見えてくるような素晴らしい映画もある。

大日本人』はどちらでもなかった。映画を見終わって渋谷の街に出たとき私は、ケバケバしくゴミゴミしたいつもの風景に『大日本人』という筋金が入った、とでもいうような感覚を持った。この映画じつは、現代日本のそれこそ奇怪な膿みのような感受性にピタリ同期してもいるのだろう。あるいは、松本人志の表現自体がすでに、現代日本生活の重要な一部を成してしまっているのかもしれない。

大日本人 公式サイト http://www.dainipponjin.com/


■■■(追記7.21)


以下はネタバレだが、私はどこが特に面白かったか、振り返ってみる。

のっけから大佐藤が独特に風変わりな男であることに加え、どこか世間ズレして凡庸に卑屈でもあるところ。それは松本芸の十八番だと分かるから、こちらはただちに万全の体勢を整え、台詞や動きの一つ一つ、画面に映る物の一つ一つに笑いを全方位的に見つけようとし見つけもするのだが、それでも、大佐藤がただ者でない気配だけはしだいに募りつつも、ズバリ何者かはいっこうに明らかにならないため、可笑しいを通り越してもう恐ろしいに近い混濁した妄想が黙って膨らんでいくところ。とりわけ、大佐藤が力うどんしか食べないという店があり、そこの主人にインタビュアーが「彼が大日本人だって知ってました?」などと尋ねるくだりなどは、ああ大日本人っていったい何のことやねんと叫び出したいほどの焦燥と渇望で、それはもちろん驚愕と爆笑を求めた焦りと渇きだが、大佐藤の巨大化と怪獣出現それ以降の展開は、その渇きを十分満たして余りがあった。

しかもそれはなぜかテレビ放映されているという。スポンサーもつくらしい。常識とは微妙にズレているのに世間とは絶妙にマッチするマネージャーがいて、視聴率まで気にしている。どうも口から出任せのジョークみたいなシナリオだが、ちっともデタラメではない。そのつど写実的にどんどん裏打ちされていく。見ている者には、違和感に包まれたままの現実感が否応なく増幅していく。

巨大化業務を支えるおっさんたちや街頭でインタビューされる人々の素人っぽさと生っぽさ。それだけでも必見だ。素人を演じているのか、素人が演じているのか、私はついに見分けがつかなかった。

「ふれあい」の悲哀。ほかいろいろ。とりあえず。