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【2019 輪廻転生】

最も避けるべきこと


久間防衛相が辞任 「しょうがない」発言で引責 
http://www.asahi.com/politics/update/0703/TKY200707030243.html

この問題、あえて言う。

原爆で殺されることは「しょうがない」ことではない。しかし「原爆を落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないと思っている」という発言をだれかがすること自体は、まあ「しょうがない」と言える。

原爆は暴力だ。しかし「原爆はしょうがない」という発言は暴力的言論だ。この2つは区別したほうがいい。それを区別しないとどうなるか。戦争を含めた暴力そのものがせいぜい暴力的言論と同程度のおぞましさでしか想像できなくなる。それは感性の劣化というべきだ。

実際私は、原爆や戦争を歴史として媒体によって知るだけだ。そのリアルなおぞましさを体験してはいない。それでも、そのおぞましさを想像する努力は今のところ不可欠だと考える。そのとき、原爆のおぞましさをめぐる言論のおぞましさに対して、いかにもリアルに怒ってばかりでは、原爆のリアルなおぞましさを思い起こすことではなく、むしろ思い起こさないことにつながる。のではないか。いかがだろう。

原爆しょうがない発言で心が傷つくことはぜひ避けたい。しかし、原爆で体が死ぬことはもっと避けたい。戦争さえ避けられれば人類は8割方成功なのだと私はなんとなく思っている。

ただし。暴力的言論くらいしょうがないよと最初に述べた。だけど、ちょいとややこしいが、言論の暴力性もまたきわめて不快であるという気持ちは強く訴えておきたい。その言論の暴力性が今回はどこに最も現れたのか。久間の発言内容だろうか。どうもそういうふうには感じない。私はむしろ、久間の言論に対して言論で対抗するのではなく、言論とはややちがった方法で対抗し処理してしまった私たちの態度にこそ、なかなかどうしてけっこう暴力的なものを感じた。