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【2019 輪廻転生】

読書と無読書のあいだ


生物と無生物のあいだ』(福岡伸一asin:4061498916

さっき味わった展開の華麗さ深遠さは、次なる展開のさらなる華麗さ深遠さを予感させ、しかも約束する。読む者がいつしかそう確信しながらたどってきたこの長い物語も、とうとう行き着くところに行き着いた。「DNA」発「動的平衡」行き。バスを降りてさらに歩くと「ドミナント・ネガティブ」。妙なる景観。

しかし私はこの現象を実につまらないたとえで理解した気がして、笑えない。

会社というのは必要な歯車の1人がある日突然欠けても皆んなが無意識のうちに代わりを努めてどうにか持ちこたえるものである一方、その必要な歯車の1人が中途半端に使えない歯車であった場合には会社の業務はぼろぼろに崩れ去ってしまう。

もちろんこの著書は、比喩による熟成の宝庫でもあった。ドミナント・ネガティブ——。《それはちょうど歪んだ硬貨を投入された現金識別装置のようにフリーズを起こすことになる。そして、そのフリーズは自動販売機の機能全体を致命的に停止してしまうことになるのだ》。

ともあれ、文章とは伝染するものなり。

上記の比喩はしかし、会社万歳の意図などさらさらない。むしろ「こんな会社つぶしてやりたい」なら、自ら好んでドミナント・ネガティブな歯車たれ。…いやだから、今はそんなつまらない話をしているのではない。とにかく『生物と無生物のあいだ』を読もう。


 *


「解くことができない折り紙」。それは生物の時間。これぞ生物の本質。

《生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。》

「機械には時間がない」だが「生物には時間がある」。そしてこの書物でそれを学んだばかりの私は、自信たっぷりにこう言いたい。「読書にも時間がある」。読書こそ不可逆の時間の体験なのだ。

…ただまあ「読書には時間がない」という生活上の真理もある。それを思うと、まるで時間の流れない可逆的な「機械のような本」、とりわけ「機械のような科学知識本」は困りものですぅ。



(承前)http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070619#p1