毎度 NHK-BS深夜映画を途中から鑑賞するのだが、今回おおっとおもったのはトリュフォー『黒衣の花嫁』だった。そういえば山本晋也と関根麻理(最初 井川遥と区別つかなかった)が番宣で「ラストシーンは絶対に言っちゃダメ」というトークをしていたのを、そのラストシーンを見てから思い出した(しまった!)。=動機の一途さ
で、トリュフォーあまり見てないなあと思い、そうしたら翌日と翌々日に『恋のエチュード』『逃げ去る恋』をやったので、見た。
後半しか見ていない『黒衣の花嫁』だが、はっきり目が離せなかった。画家がモデルに弓を持たせ矢を構えさせそれを正面からスケッチする、のをカメラが撮るといった、画家も危ないがカメラマンも危ないだろう、なんてことするんだ! という興味がまずもって面白かった。それがまあ無意識に予感したとおりみたいな展開になり、ああちょっとヒッチコック風だねと思った。トリュフォーはヒッチコック好きだったとはよく言われるようだ。
それと、役者が部屋の中をとにかくよく動く。こういうところがヌーベルバーグなのかと思ったり。特にその2、3日前 アキ・カウリスマキの『過去のない男』を見ていたものだから(こちらは夜の衛星映画劇場)、カウリスマキ映画では役者がとにかく座ったり立ったりしたままさっぱり動かないのと非常に好対照だった。基礎代謝が違うとでも言うか。もちろん『過去のない男』はすばらしい。初めてのホームレス生活、その手引き、ともなる。
で『黒衣の花嫁』だが、あちこち動くから部屋の中のようすがいろいろ知れる。しかも動くところにたとえば黒電話などあったりして、いちいちカッコいい。おフランスの物品はなんでこうシャレて映るのか。それもヌーベルバーグのおかげなのか。ともあれ、映画を途中から見ると、ストーリーを追うことははなから諦めるので、かえって画面の動きやつながりをじっくり見ることになるのは、よい。これは覚えておくべき知恵だ。=鑑賞の一途さ (ただし『黒衣の花嫁』はストーリーこそが絶対的に面白いのだろうが)
『恋のエチュード』は見たように思っていたが、初めてだった(きっとビデオ屋で背表紙を眺め倒したせいだろう)。これはすこぶる真面目くさった(というか純粋な)恋物語で、えーとここ笑うところかなと首をひねることもしきりだった。イギリスの海岸やスイスの湖畔も美しい。
『逃げ去る恋』は、このタイトルが言い得て妙であるごとく、じつにいいのだった。とくに冒頭から、音楽とともにタイトルが流れるシーンの情感とか、やっぱりあの列車にジャン=ピエール・レオが飛び乗ってしまうところとか。ふわふわあやふやわくわくむこうみずなアホそれが恋、とでもいうべき瞬間と展開。これぞトリュフォーテイストというものなんだろう。ただ、実はこれは晩期の作品で、むしろトリュフォーの集大成的な一作とされるらしい。そういえばたしかにジャン=ピエール・レオはもはや若者ではなかった。若者ではなくなってトボけたいい味出すようになったレオは、カウリスマキ映画にも出ている(コントラクト・キラー)。いや、トボけた感じは若者のときからあったのだっけ?
トリュフォーもゴダールも、もう単純に映画が好きで好きで、かつ女性が好きで好きで、とにかくどうにも止まらなかったことがこういうこと(ヌーベルバーグ)になったとは言えるのだろう。そのうえでさらにどちらかというなら、トリュフォーは映画以上に女性が好きであり、ゴダールは女性以上に映画が好きだった、のかなと思うのであった。いずれにしても、それに比べたら巨額の資本とご大層な俳優人と大勢の口出しをひたすらハンドリングしつつ製作されねばならない映画作品なんてのは、動機が不純きわまりないとも言えるではないか。
●黒衣の花嫁 asin:B00005HD3L
●恋のエチュード asin:B0006B9ZTK
●逃げ去る恋 asin:B00005FPTH
●過去のない男 asin:B00008IXGB