東京永久観光

【2019 輪廻転生】

言葉でコミュニケーションできるとはかぎらない


そういえば、『ククーシュカ』というロシア映画をDVDでこのまえ見た。asin:B000HXE3I0

第二次大戦中にソ連フィンランド侵攻した頃の話。そのフィンランド辺境で、ラップ人の若い未亡人が住む田舎屋に、いろいろあって前線から逃れてきたフィンランド兵そしてソ連兵がそれぞれ同時にかくまってもらう形になる。おもしろいのは、3人とも別の言語なので会話がまったく通じないこと。兵隊はもちろん敵同士であり、おまけにソ連兵はある理由からフィンランド兵をナチスドイツの一員だと誤解している。ラップ人女性をめぐる三角関係と嫉妬もわきあがる。彼女の死生観は現代人とちょっとずれたところもあったりする。

山の焚火』というスイス映画をむかし見たが、たしか聾唖の弟に姉ひとりがつきそう場面がずっと続くので、台詞がほとんどなかった。「静謐」とはこの作品にこそ当てはめるべき言葉というかんじ。

それから、新藤兼人監督の『裸の島』は、テレビでちらっと見た程度だが、台詞がまったくない映画として有名らしい。

こうした言葉なしの人間関係というのは興味深いのだけれど、『ククーシュカ』の、互いにコミュニケートを強く求めているのに、その饒舌な言葉がぜんぜん役に立っていないという、あまりにデタラメな状況というのは、言葉なしの世界をさらに上回って凄いなと恐れ入った。

なんというかまあ、我々が社会で交わす言葉も、業務的な取引や日付などの内容は実に正確に届くのだが、日々生きていることの面白さとか不思議さといったことになると、その相手が本当はどんなふうに考えているのか見えているのか、あるいはそんなことちっとも考えていないのか、そういうことは実はめったにコミュニケートできない。…かななんて、ちょっと空虚になるときもありませんか?

*山の焚火 http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=7430