東京永久観光

【2019 輪廻転生】

迷うなら借りなさい(それが真理)


金曜の宵にTSUTAYAは会社帰りの人で賑わっていた。でも私はさっきから借りる映画が決められない。1時間以上たつのに。何なんだこの優柔不断。どうしてもこれを見たいという映画は、この世にこれほどないものだろうか。反対に見たくない理由ばかりそのつど思い当たって手にできない。そういえば、昔あのレンタル屋のあの棚に、常に気になって立ちどまりながら「いつか借りるけど、今日はまだ」と思って必ず通り過ぎ、結局ずっと見ないままだった映画というのがあったね、みたいな記憶もよみがえり、可笑しい。レンタルショップはビデオの時代を含めてかれこれ20余年。これまで何回くらい通ったんだろう。死ぬまでに私はそれを借りるだろうか。

そんな困難をくぐって借りてきた1本が、成瀬巳喜男浮雲
 浮雲 [DVD]

これが実によかった。離れられない男と女の成りゆきまかせのずるずる話。なぜこうもいいのだろう。高峰秀子森雅之がとにかく最高にいい。行くあてなくわびしく並んで歩く2人の、何度か映し出された後ろ姿が、とりわけいい。成瀬巳喜男は「やるせなきお」がニックネームだったというが、まさにそんなムード。

森の演じる富岡は、現実の流れに身を任せて漂うばかり。過去を思うことはあっても、そこに戻るとか回復させるとか、起こった出来事を反省して決着をつけるといったモチーフは、ほとんどないことに気づく。物語自体、高峰の演じるゆき子にとってひどすぎる状況が次から次へと訪れるのだが、その悲しみにいちいち立ち止まる暇も与えず、新たな展開が彼女を巻き込んでもっともっと押し流していく。眠りに負けているうちに進んでしまった場面をときおり戻したりしつつ、いったいこの映画どこまで行くんだ、どうやって終わるんだと思うのだった。不可逆。ずるずる。汽車は進み、船も進み、最後は屋久島へ。

舞台となった昭和21年の焼け跡闇市的な風景、あるいは製作された昭和30年当時の風景にもまた、心にしみいるようで、ことごとく惹かれた。日常の諸事を忘れ現在から離れたくてこんな古い映画を選んだところはあったのだが、それにしても、直接経験はないものの、幾度どのように語られようが見せられようが、こうした時代の風景は異様なまでに懐かしい。そうだ、20世紀後半の日本に生まれ育った我々にとって、あの戦争と終戦にまつわる物語や風景というのは、事実上の「神話」とも呼ぶべき位置にあるということなのだ、きっと。

我々は長い歴史のなかのほんの短い歴史だけを生きる。だから、なぜかそこに立ち返ってしまう出来事というのが、いびつに偏っていることは、大いにありうる。仕方がない。それと、懐かしいという情緒の、割り切れなさや身勝手さは、過去(これまでの歴史)と未来(これからの歴史)とが、個人の生にとっては明らかに非対称であることを証明している。そしてまた、懐かしさというものが、生が不可逆であることから来ているのも間違いない。富岡とゆき子の道程と同じ不可逆さだ。個人の短い人生とはいびつであり不可逆なのだ。あたり前のこと。たとえば1971年のレコード大賞と2001年のレコード大賞とは、私の生涯にとっては同じ価値のレコード大賞であるわけがない。

とだんだん分からない話になったが、とにかく『浮雲』は忘れられない映画になった。