東京永久観光

【2019 輪廻転生】

言語について素朴に考える (3) 〜インターネット言語そして音楽〜


言語記号は現実の対象だけでなく他の多数の言語記号とも複雑かつ規則的に結びつく、という話だった。この働きは通常は自分の脳内で起こっている。ところがインターネットの言語に限っては、きわめてショッキングなことが新たに起こる。読み書きしている言語記号の一部が、リンクおよびクリックによって、インターネット上の他の多数の言語記号とも、同じく複雑な関係を勝手に編み上げてしまうことだ。これは脳内とは独立であり、しかも脳内の言語関係が目に見えないのと対照的に、インターネット言語のリンクによる結びつきはモニター上で確実に顕在化する。このことが私は何より面白い。これはまた改めて。

ただし、インターネットの言語「カレーライス」も、やはり実物のカレーライスにはリンクしない。そこは我々がふだん使っている言語と変わらない。ときにはカレーライスの写真くらいは出現するだろうが、それは言語と同じくカレーライスの記号でしかない。

ところが、ふと気づいた。

iTunes Music Store などで、たとえば「Across the Universe」という記号をクリックすれば、ズバリ実物の「Across the Universe」が出現するではないか! 記号「Kind of Blue」は実物「Kind of Blue」を、 記号「ボサノバ」は実物ボサノバを。いや Music Store に行かなくてローカルの iTunes でも同じことが起こる。(楽曲それ自体も記号として作用するが、ここでは記号の対象としての役割に着目)

では、音楽ゲノム計画パンドラ(http://www.pandora.com)というサイトはご存じだろうか。ここでは奇妙なことに、「Across the Universe」という記号言語をクリックすると、実物音楽「Across the Universe」が出てくることもあるが、それ以上に「Across the Universe」に似ていて少し違う実物音楽がしばしば出てくる。インデクスの素敵な乱れ! これはしかし記号の謎というより商売の謎につながる話だろう。

それよりもパンドラで、言語記号のからくりをのぞくような実感をもった。

パンドラでは、すべての音楽がさまざまなタグによって結びつき巨大な体系を成している。たとえば「Across the Universe」をサーチすると、「The Beatles」「Let It Be」はもちろんのこと「acoustic rock instrumentation」「major key tonality」「great lyrics」「a clear focus on recording studio production」「a subtle use of vocal harmony」といったタグが列記される。パンドラはこのタグを共通項にして似た楽曲を選び出すのだろう。

つまり、「Across the Universe」は記号であり、実物の「Across the Universe」と結びつくが、それに加えて、他の多数の記号「The Beatles」「Let It Be」や「acoustic rock instrumentation」「major key tonality」などとも結びつく。パンドラの中では、これらの記号全体がまさに複雑かつ規則的に構造化されているはずだ。この場合も、記号と実物の音楽との結びつきがインデクス、記号同士の結びつきも加わった関係がシンボルと言えるだろう。

さて私は、「Across the Universe」が「Beatles」であり「acoustic rock instrumentation」「major key tonality」であることを一応理解している。

ところがそこに、オレは音楽なんて生まれてから一度も聴いたことがない、パンドラだってボリュームをゼロにしてタグを読んでるだけだ、という人がやってくる。でもオレは「Across the Universe」を知っているぜ、それは「Beatles」だろ、「acoustic rock instrumentation」で「major key tonality」だよな、そんなこと全部知ってるさ、と言うではないか。それどころか「major」が「minor」の反対語であることや、「acoustic」が「guiter」や「piano」を伴いやすいことも知っている。彼はつまりコンピュータなのだろう。

しかしこれはコンピュータだけの話ではない。AmasonやGoogleで未知のアーティストの音楽について調べていて、サンプル曲にはたどりつけず、それでも言語の情報だけが膨らんでなんらか理解できた気になることがある。

言語は、現物に結びつくインデクスとしてだけでなく、記号どうしも複雑に結びつくシンボルとしてこそ大きな働きをするのだが、インデクスを欠いてしまってはやっぱりヘンだねという話を、また繰り返した次第。次はもっと別の話に。いただいた他の応答についても考え中。

 *

追記(1.16)

『パプリカ』は映画は見ていないが筒井康隆の原作を当時読んだ。あれはたしか、夢という次元で自分の思考と他人の思考がテレパシーっぽく連結される話だったと記憶する。

さてインターネットの成立は、自分のパソコン(情報や知識の少なくとも一部)が他人のパソコンとなんとダイレクトに連結されてしまうという、人類文明の大ジャンプだったんですよと、大げさに言わないのは、今さら言うまでもないからか、それとも案外気づかないからか、どちらなのだろう?

ともあれ、そういうまさかのジャンプが本当に起こったのだから、今度は、自分の脳(情報や知識の少なくとも大部)が他人の脳とダイレクトに連結するパプリカみたいなことだって、案外あれよあれよと起こるのではないか。

脳神経系を外部から制御する実験はすでにいろいろ行われているようで、そうした制御がパソコン化・ネット化・携帯化すれば、思考の交信つまりテレパシーは虚構でなく現実になる。「事典の代わりにグーグルを引く」が比喩でなくなったごとく、「思考の代わりにインターネット」も比喩ではなくなるだろう。

脳内における言語の連結、そしてインターネットにおける言語の連結、という2つの記号作用も、そのときは本当に区別を失うのかもしれない。