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【2019 輪廻転生】

言語について素朴に考える(1)


人間以外の動物は言葉をもたない、という主張がある。このときは、動物も様々な交信を行うけれど、それは我々の言語活動とは質がまったく異なる、とみなしていることになる。

動物の交信の例には、あるサルが様々な叫び声をあげて様々な敵の到来を仲間に知らせる、ミツバチのダンスが蜜のありかを示す、イルカが自分の名に当たる特定の鳴き声を発する、などが挙げられる。もっと身近に、うちのポチは「ご飯だよ」と言うと「ご飯だ」と分かってやってきます、というのもある。

これらは言語と同等ではないんだろうか。「ある何かが別の何かを表している」という図式は共通していると思えるのに。違うとしたらどこが違うのだ。

こういうことがずっともやもやしていたのだが、今回『ヒトはいかにして人となったか』(テレンス・W・ディーコン)という本を読み、とうとうひとつクリアになった。asin:4788506718

一言でいえばこうだ。

動物の交信はインデクスにすぎないが、人間の言語はシンボルとして働く

英米記号論の祖とされるパースは、記号をアイコン(図像)・インデクス(指標)・シンボル(象徴)の3つにレベルに分けたという。それぞれ記号の作用や解釈の方式が異なるとしている。アイコンは、イノシシのイラストがイノシシを表わすような場合だ。対象との類似によって対象を再現する。インデクスは、車のメーターが速度を表したり、煙が火の存在を表したりする場合。対象と近接性や因果性でつながり対象を指し示す。シンボルは、ハトが平和を表すとか星条旗が米国を表すなどが例になる。対象との結びつきは任意の取り決めによるものであり、対象をいわば意味する。音声や文字が言語として働くのも通常シンボルとしてだ。

ディーコンはこの分類を基に、人間の言語と動物の交信では記号のレベルが明らかに異なっていることを、詳しく整理しながら解き明かしていく。

その解明を通して、言語という記号が、いかに巧妙でいかにややこしい成り立ちをしているのかを、思いがけず強く実感した。私のなかに浮上した要点を2つまとめておく。

言語の働きがインデクスというよりシンボルであるということは、言葉と対象が一緒に出現するのが普通ではないということだ。今ここで「カレーライス」と書いても言っても、カレーライスが出てきたりはしない。ここにあるともかぎらない。当たり前だろうか。そうではない。

上記の例でいくと、サルが叫ぶときは、それと結びついたライオンやタカなどの敵が本当にその場に現れている。ポチが「ゴハン」という声を耳にすれば、必ずゴハンが出てくる。出て来ない日が続くとポチにとって「ゴハン」は記号でなくなってしまうだろう。インデクスとはそうした直接性がカナメなのだ。なお、「オオカミ」と言うと実際にオオカミが来ると考えるような特殊な場面では、「オオカミ」という言語記号はインデクスとして働いている。しかし、シンボルとしての「オオカミ」は実際のオオカミと同期しなくてもよい。だから、「オオカミが来た」と嘘ばかりつくことで「オオカミ」はインデクスとしての働きを失うが、それでも「オオカミ」のシンボルとしての働き(いわゆる意味)はまったく変わらない。

言語は現実の世界と直接結びついてはいないのだ。むしろ仮想の世界を作り上げると言ったほうがいい。記号の原理として改めてそれに向きあい、不思議な気がした。これが1つめ。

もう1つ。言語という記号は、インデクスからシンボルへと転じることで対象との結びつきが希薄になった。しかしそれと同時に、記号どうしの結びつきというものが初めて生じた。しかも、その結びつきは複雑であり、記号が働くうえで決定的な役割を果たしている。

具体的には、たとえば「カレーライス」という語は、通常インデクスではなくシンボルとして働くわけだから、現実のカレーライスとは案外結びつかない代わりに、「昼飯」とか「じゃがいも」とか「スプーン」とか「インド」といった別の様々な語とは、なぜかどんどん結びついてしまうということ。また、「カレーライス」は「食べる」や「辛い」とはしばしば結びつくが、「泳ぐ」や「恐ろしい」とはあまり結びつかない。結びつく相手や順序はかなり複雑かつ厳格に決まっている。そうして、言語の記号としての働きつまりいわゆる意味というものは、大抵こうした結びつきを経た段階で初めて現れてくる。

これまた当たり前だと言いたくなる。しかし翻って考えると、サルやミツバチやイルカなどの交信には、これらの特徴はいずれもまったくみられないというのだ。むしろ人間の言語だけが記号として非常に奇妙な要領で使われているとも言える。

こういうことを踏まえると、言語が、事物や概念を指し示すラベルとみるだけでは、やはり足りないことも、改めて感じられてくる。

繰り返す。

(1) 我々の言語は現実の対象を伴わずに使われている。

(2) いずれの語も他の語と複雑に関係することで初めて意味を生じる。

では、人間以外の動物が言語のようなシンボルとしての記号を用いた例はただの1つもないのかというと、そうでもないようだ。それは次回。この本が説く言語の本性らしきものについても、さらにこの4倍くらいは記したい。