東京永久観光

【2019 輪廻転生】

あけましておめでとうございます


インターコミュニケーション InterCommunication』2007冬号。池上高志+鈴木健の「Natural Intelligence」という記事が面白く、腰を据えて、つまりしゃがんで立ち読み。だから以下は引用ではなく、今ここで出てきた語や文なので注意。

http://www.nttpub.co.jp/ic/ic001.php

自然のさまざまな現象(人間の脳もその一つ)を、チューリングマシン(現在のコンピュータ)とは違った原理をもつ計算機とみなして利用すれば、なんか大変なことができるんじゃないか、といった主旨。チューリングマシンの計算方式が「細かく分かる」ことなら、提案したいのは「詳しく分かる」という戦略なのだという。

この戦略をめぐって、アフォーダンスに注目する。アフォーダンスとは、自然の中に埋め込まれている不定項を、身体が、その中で活動することによって見つけだすことなのだ、といった捉え方。なるほどねえ! そうしたアフォーダンスが、詳しく分かるほうの知能、チューリングマシン的ではない知能の一例ということだろう。別の例として、熱力学の方法が挙げられている。熱という現象を記述するために確立されてきたやり方は、ものごとを素粒子などのふるまいで説明する物理学に還元されるものではなかった、という構図。

こうした提案の背景として、コンピュータが自然現象をきわめて高い精度でシミュレーションできるようになった実状が指摘されている。そのシミュレーションの計算過程は今や、自然自体が生起していく過程そのものと変わりないほどだというのだ。しかしそれゆえにこそ、そのシミュレーションは、こんどは現実的に、すなわち物量的に時間的に、計算困難になってしまうという。

背景はもう一つある。や自然界が実際にやりとげている計算過程は、やはり絶対に手が届かないほど複雑なので、その原理を見極めることよりも、その原理を勝手に(ブラックボックス的ではあってもヒューリスティック的に)計算機として使ってしまうことのほうが、よほど有益なんじゃないか、という思いがあるようなのだ。

なお、この記事は冒頭、インターネットチューリングマシン的でなく構築しようという模索2つについて言及している。AmazonGoogleそれぞれの特定プロジェクトだ。どちらも、ある課題の解決に際して、ネット上の不特定多数のユーザーにWeb2.0っぽくやらせる部分と、コンピュータに処理させる部分とをうまく融合させるようなプロジェクトと言えるようだ。名称は忘れた。というか、ブログにこうして記しておけば、いつかたどり着けるという戦略だ。インターネットは、つまりそれこそ今や、相当大変なことをごくごく自然にやってのけてくれるのだから。

そもそも文章が分かるというのも、初期条件として置かれた語句が、言語という(自然?)現象に埋め込まれている、見通しがつかないほど複雑な、社会的文化的な文脈というものと、次々に自在に反応していくことがなければ、じつは成り立たない。詩や俳句などはもちろんそうだし、今ここに書いている長めの文章も、この語句はこう解釈しなさいというチューリングマシン的なプログラムばかりではないのだ。どうなるか、どう解釈されるか、分からないけれど、まあたぶん勝手にやってくれるだろう、というところがある。ましてやインターネットだ。知らない用語はGoogleWikiを使うだろうし、「はてな」の自発的キーワードリンクもある、ということで、いちいち説明しないと。

東京芸大で行われたという池上高志講義の記録が、『クオリア日記』にある(mp3)。そこで語られていた、芸術表現の偶発的な生成に期待するといったようなことの理由も、少し分かった気がする。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/12/post_b58f.html

池上高志+鈴木健の提案は、安冨歩複雑さを生きる』の戦略にも近いと思われる。

http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20061028 asin:4000263501

複雑さを生きる』では、カオスのなかから秩序が生まれてくるという不思議な現実を、餅をこねている複数のマシンがなぜかふいに同期しはじめる、という例でも説明していた。

ただし。そのように超高度で複雑な秩序を人間が最初からアルゴリズムとして設定することはできない、というところにはたしかに共感するけれど、それでも、じゃあ勝手にやらせておけばそんなうまいぐあいに有効な秩序が生じるのかというと、これもちょっと信じられない気がしていた。

しかし今回の記事を読んで、なるほど自然というのは実際に途方もないことをしているのだからと、そう思うことで改めて納得できた気もする。山が出来たり、河が出来たり。虫がわいたり。宇宙に地球という秩序が出来たのも、地球に生命という秩序が出来たのも、さらには動物とはどうもランクが違っている人間の知能が生まれたのも、信じられないことが勝手に本当に起こった例というべきなのだろう。

経済やビジネスが案外うまくいくコツというのも、もしかしたら、こうした転換にあるのかもしれない。だから、生涯賃金が計算できるというのはいわばチューリングマシン的? じゃあアフェリエイトとかデイトレードはどうなのだろう。それこそ驚愕の不定項が隠れていて、パソコンをこねくりまわしているうちに爆発的な成金秩序の創発。いやあ、しかしそんなのはやっぱり小賢しくつまらない電算アルゴリズムにも思える。

たとえば人権や平和を実現しようとか考えるときも、参考になるのかもしれない。人権や平和というものが生成していく原理や過程を細かく知ることも大切だが、なにかとりあえずやってみて、もしそれがうまくいくようなら、その現象のそういう複雑さをとりあえず信じるという戦略。正しい人権とは。正しい平和とは。それを求めて議論や喧嘩をずっと続けるよりは、少なくとも楽しいか。でも仮にそれが、憲法9条を捨てる戦略だと言われたら。核兵器を持つ戦略だと言われたら。あなたはどうする? 

ことしもよろしくお願いします。(年賀状は貴殿にだけ送らなかったのではありません)