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【2019 輪廻転生】

侯孝賢との再会


侯孝賢(ホウシャオシェン)の映画特集があった。先週末まで渋谷シネマヴェーラで。「全部観るぞ!」くらいの気持ちだったが、 まったく果たせず5本のみ。『川の流れに草は青々』『童年往事 時の流れ』『恋恋風塵』『悲情城市』『ミレニアム・マンボ』。

侯孝賢のよさがまた身にしみた。でもやっぱり言葉にならない。感動した理由の核心を突く説明ができない。ただ、改めて気づかされた特異な印象を報告することはできる。

たとえば、今ここで注視すべき人物の手前や奥に、雑然として不明瞭な光景がしばしば広がっている。柱だのスダレだの邪魔になる物もよく映り込む。音声も同じで、周囲のガヤガヤザワザワが始終聞こえている。画面に入っていない人や物のノイズも混じる。鍵になるはずの人物の言動があえて際だたないことが珍しくない、ということになる。そもそもそうした人間関係や物体関係をどうもいつも丁寧には教えてもらっていない気もする。するとどうなるか。ややもすると気が散る。でもかえって目と耳を鋭くせざるをえない。その焦点を自分で素早く加減せざるをえない。

それと、ストーリーをバランスよくスムーズに盛り上げるといった目標がこの監督には根っから欠けているのではないか、などという判定もついにしたくなってきた。

ただし、こうした傾向に気づいたからといって、映画作りの意図や手法の中心を見抜いたとはまったく思っていない(TVドラマなどとは明らかに逆だなとか、これもドキュメンタリー的ということかな、くらいは思うけれど)。

ただ、こうした傾向がもたらすこうした妙な気がかりを抜きにして、『童年往事』『恋風』『悲情城市』などの魅力は語れないなとは、個人的に確信する。初めて観た『ミレニアム・マンボ』も同じ傾向があった。『川の流れに草は青々』はこれらとは少し異質の作品だろう。

ところで、『悲情城市』は「台湾激動の現代史を描いた」「2.28事件を描いた」といった紹介をされることが多い。でもそれは、この作品の魅力をズバリ語る表現がなく仕方なくそう形容するだけだろう。侯孝賢がこの映画を作るなかでどうしても浮かびあがらせたかったものがあるとしたら、それはむしろ歴史や事件などでは全くないのだと見切ったほうが、まだしも問いを見失わないだろう。


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気分転換。

侯孝賢など台湾映画のロケ現場を繰り返し訪ねてリポートしている素晴らしいサイトを紹介しよう。2つ(有名かもしれない)。
http://www014.upp.so-net.ne.jp/morimoto/
http://homepage.mac.com/xiaogang/taiwan/indexCinema.html

後者の人が『童年往事』の感想を書いていた。これがまた素晴らしい。
http://d.hatena.ne.jp/xiaogang/20061015#p1(実録 亞細亞とキネマと旅鴉)

《異なる世代の異なる想いは、共有することも継承することも不可能である。記憶が痛みを伴うのは、それがもはや取り戻せないからでもやり直すことができないからでもない。たとえば祖母の想いをもっとわかってあげればよかったと思っても、本当にはわかってあげることなどできないことを私たちは知っている。たとえやり直すことができたとしても、やはり自分のことが一番大事であり、結局は祖母や両親をあまり気づかってはあげられないだろう。だからといって、自分のやってきたことは間違っていなかった、しかたのないことだったと、開き直って忘れることもまたできない。後悔したくてもできなくて、諦めたくても諦められなくて、忘れたくても忘れられない。阿孝の最後のモノローグ、「今でも、度々思い出すのだが、祖母の大陸へ帰る道は、私と歩いたあの道なのか……、一緒に青ザクロをとったあの道なのかと」(公開時のプログラム[O1-30]より引用)には、そんな想いが込められている。阿孝はこのあともずっと、繰り返しこのように問いかけ続けるのだろう。》

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童年往事 時の流れ』『恋風』 他 asin:B0007LXPJ0
悲情城市』 asin:B00008BOFR

悲情城市非情城市ではない。非情上司ではもちろんない。