東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ホテル・ルワンダ


見逃していた『ホテル・ルワンダ』。下高井戸シネマで上映しているので、先日観に行った。

人間の本性はいつでもどこでも愚劣か。必ずしもそうではないと思うが、限定的にいえば、たとえば1994年のツチ族フツ族が似たような本性をもっていたのと同じくらいなら、2006年の日本族も十分似たような本性を持っているだろう。とりあえずそれくらいのことは言える。

では、ジェノサイドはいつでもどこでも起こるのか。そんなことはなかろう。1994年にルワンダの首都で起こったような出来事が、2006年の日本の首都で起こりそうではない。そもそも、世界のだれかが一生のうちにジェノサイドに遭遇する確率なんて、たぶん大津波に遭遇するくらい低いのだろう。

したがって、あのような特異な出来事が起こるのは、人間という次元の特異さ以上に、やはり社会という次元の特異さが決め手とみるべきだろう。あまりに大ざっぱな指摘でしかないけれど。

そうなると、ホテル支配人の人格がどうだったか以上に、当時のルワンダ社会の情勢がどうだったのかを、人類の普遍性よりルワンダの特殊性を、今度はもっと詳細に知りたくなる。キガリの緊迫した雰囲気というものは映画でなんらか伝わるわけだが、あのような殺戮に至る構図や力学のほうが、実はむしろスムーズには納得できない。ベルギーがツチ族を優遇しその後フツ族が政権を奪ったというくらいの知識では足りない。近所の人々がナタで襲ってきたり近所の人々をナタで襲いに行ったり、そんな目に遭う気持ちを実感するのももちろん難しいわけだが、歴史をリアルに知るというのは、実はそれ以上に面倒で困難な作業のような気がしてきた

しかしここから話の角度ががらっと変わるが、その一方で、ある集団を想定して全滅させたいほど憎悪するということがどういうことか、類推できる状況を自分の周囲に探してみることは興味深い。

たとえば、今なら次のようなことを思い描くのは私だけではないだろう。ライブドア株などに投資して大損した個人投資家らが中心になり、ITや金融のビジネスでボロ儲けして六本木などを闊歩しているようにみえる連中を「ヒルズ族」と総称して糾弾する。それが思想的な支えや大衆的な広がりをもち、やがて「あいつらの財産なんか全部はぎ取ってしまえ、それこそ正義だ」といった暴動に発展する。そのとき駆けつけてきた警察の拳銃が、もしも自分の側ではなくヒルズ族の側に向けられていたら‥。

1994年ルワンダの憎悪だって、もともとはけっして抽象的なだけのものではなかっただろう。もっと陳腐で卑小な憎悪がそれぞれ個別にあったはずだと思うのだ