東京永久観光

【2019 輪廻転生】

Congratulations!


友人が結婚することになったタイの女性は、コンケン県のバンパイという小さな町に住んでいる。その結婚式が1日にあった。私は29日にアユタヤからの列車でこの町を訪ねた。

友人のお母さんをはじめ親族4人が日本からはるばるやってきていた。日本人どうしの結婚でも、家と家の遭遇による驚きというのは大きいものだと思うが、互いの習慣や言葉がここまでかけ離れてしまうと、うわべだけとりつくろうようなことはきっと無意味で、もうお互い自然体で正直にふるまうしかないだろう、それはかえっていいのではないか、などと勝手に考えたりする。

友人はこのイベントの主賓として期待通りふるまいながら、親族に対してはツアーコンダクターの役割があり、向こうの親族に対しては日本側を代表する窓口ともなるので、とにかく大忙しだった。

婚礼の儀式と披露宴さらには前夜の夕食会とフルに参加させてもらった。不思議な出来事の連続だった。ただ私は、タイという異国を旅行中で、光景や心境がふだんと違っていることが普通になってきているせいか、目の前で繰り広げられる式典や祝宴が度を越して奇妙であっても、それもやはり当然のように感じられた。

そもそも40代での結婚であり外国人との結婚であり、最初から一般的な話としてイメージしてはいなかった。しかしそんなことごとく独特な状況に直接立ち会ってしまうと、個別的であるのがむしろ当たり前で、いちいち珍しいことに思えなくなってくるのだろう。初めて会うパートナーの人物像にも興味津々だったが、今となっては二人が一緒にいるのが普通に見える。東京では友人とすかいらーくでドリンクバーなど頼んでだらだら話をすることが多いが、その場にその人が一緒にいてもぜんぜんおかしいことに思えない。

たとえは悪いが、ある日大きな地震や台風に見舞われた町が、もう最初からそのような町であったようにしか見えないのと同じだろうか?

そんな一連の出来事をずっとビデオ撮影していた。

思えば私は今、タイの国や人々をテレビ番組でもみるように眺めている。非常に熱心ではあるがただの傍観者だ。私の友人が、タイでかけがえのない人とつながり、その家族そしてその国と深い実質的なかかわりを持ち将来への展望も広げようとしているのと、あまりに対照的かもしれない。

今の私には、何を食べようか、タクシー代はいくらか、といったそれくらいの切実さしかない。周囲からも束縛や関心をまったく向けられない状態を毎日すごしている。日本でしている仕事や生活が「この世」なら、それと完全に切れたこここそ「あの世」みたいなものかなと思ったり。それは天国のようであり地獄のようであり。