東京永久観光

【2019 輪廻転生】

早々とスイカを食べる


バンコクは水上移動ができる。チャオプラヤーという幅広い河が市街地を囲むように流れていて、そこを乗り合いボートが進む。風がじつに気持ちよく、蒸し暑さを滅却できる。それにしても、眺めがこんなふうに変化する視界というのは、我々は船に乗らないかぎり持てないのではないかな。なんとも適度なスピードと揺れ。歩くのとも車とも違っている。建物も水辺の側はビルの壁が汚いままだったり洗濯物が干してあったりして、また面白い。ボートはそういう街の裏側を縫っていくというわけ。

ボートを降りたあとはバンコクで最近デビューしたという高架式の電車に乗る。なかなかかっこいい。真新しい車両が高速道路くらいの高さを軽やかに滑っていく。こんどはやや上からの自在な視界ということになる。民家は屋上などもまた無防備で楽しい。

とそのようにして、やや郊外のウィークエンドマーケットというのにやってきた。ガイド本にあるとおり実にさまざまな店が迷路のように入り組んで並んでいて、キリがないのだが、つまらないものを少し買い、それがなんとなく引き上げる潮時となる。お金と物が移動するというのは実体がある事実であり、なかなか強い出来事なのかもしれない。これがたとえば人とのふれあいとか真心とかいうようなものだけでは、なかなか区切りにならないのだろう。

さて、本を読むのは結局アフターファイブ(観光後)になる。村上春樹ダンス・ダンス・ダンス』。いるかホテルの背景説明、自分自身の背景説明に続く〈3〉は、こう始まるのだった。

《この巨大な蟻塚のような高度資本主義社会にあっては‥》

この小説はテーマというならまさにこれであり、いるかホテルの変貌もストレートにそれを象徴しているということなのかなと、今のところ思う。といってもまあテーマなんてつまり出汁にすぎないのだろう。いや小説においては人物や設定あるいは物語自体もすべて出汁なのかもしれない。それが何のための出汁なのか、よく分からないのだが。

ただ、高度資本主義という堅い言葉がこれほどしつこく出ていたとは、少し驚きだった。これについていろいろ思うところはあるが、今は書く余裕がない。またいずれ。

ちなみにマーケットでは、仏像でもアートでも伝統工芸でもジョークでも何でも売り物だ。物乞いをする人もお辞儀をするなどかすかに何かと引き換えにしているように思える。まあ、こちらはぜんぜん高度ではない非常にシンプルで原理的な資本主義ということになるのか。とはいえ、日本の私がタイというエリアでこんなに安くサービスやモノが得られるのは、その資本主義の経済というものがうまく働いているせいなのか、うまく働いていないせいなのか、どっちの説明がいいのか。そういうこともよく分からない。いろいろ考えるが、やはり長くなるのでまたにしよう。

マーケットからの帰り際、学生らしい男の子と女の子がフォークギターとクラリネットの合奏をしているのに出くわした。音響もMCもなくはにかみながらやっているところがとても好ましく、しばし見学。制服の白いシャツに星がそれぞれ3つと1つあったので、おそらく高3と高1のコンビだろう。

音量も控えめだが、そのメロディーもタイの熱気や市場の喧騒に比してとても優しく軽やかで、すっかり気に入った。ちょっと尋ねてみると、どれもタイに昔からある歌だという。曲名も教えてもらった。「それ英語でいうとどうなる?」と聞いたら、女の子がしばらく考えてこう答えた。「What Should I Do」

What Should I Do! ううむ、なんだか今の私のために用意してくれた歌に思えてきた。というわけで、このフレーズがまたそこを去る潮時となった。お金を使うことが一区切りになるのと同じく、言葉もまた一区切りになる。ひとつのあいまいな状況がひとつの言葉の現われによってひとつカタがつくと。

というわけで、また。