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【2019 輪廻転生】

ひと昔、ふた昔どころじゃない


このあいだNHKでみた映画『二十四の瞳』が、やけに心に残っている。木下恵介監督・高峰秀子主演のほう。

ロケーションをはじめとして見どころは多いが、唱歌がたくさん聞こえてくるのもその一つ。「七つの子」「故郷」「村の鍛冶屋」などなど、新米の女先生と1年生児童のシーン等に合わせて流れる。おもしろいのは、女先生に代わってベテランの男先生(笠智衆)が慣れない音楽の授業を担当したとき、みんなに歌わせたのが「ちんちん千鳥」で、こっちは子供たちにずいぶん不評だったこと。現在の子供にすれば「七つの子」も「ちんちん千鳥」も似たようなものなんじゃないかと思って。それと、「アーニー・ローリー」「埴生の宿」といった英国の曲がやはりどこか垢抜けて響く。「仰げば尊し」や「蛍の光」も好いメロディーだが、どちらもスコットランド民謡。そんななか、これはいい歌だと気づかされたのが、「浜辺の歌」(林古渓作詞、成田為三作曲)。《あした浜辺をさまよえば 昔のことぞしのばるる》。映画の終盤、まさに昔を忍んで改めて歌われる。ことし黒木瞳主演でドラマになった「二十四の瞳」をちらったみたときも、同じ場面で歌われていたから、原作にあるのだろう(読んだけど、忘れた)。

話は急に飛んで。村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、ある歌が非常に大切な役回りで登場する。「ダニー・ボーイ」だ。これがたとえばなぜ「浜辺の歌」や「故郷」ではなかったか。そこは考えてみれば気になる。でもまあ、あの小説であるいは村上春樹にとって、どうしてもそれは「ダニー・ボーイ」でなくてはならなかったのだろう。ちなみに「ダニー・ボーイ」は、ビートルズ『レット・イット・ビー』の曲間でジョン・レノンが戯れに口ずさんでいる。(ジョンの死は日本時間では本日12月9日、四半世紀前)

それと、「埴生の宿」といえば、かの『火垂るの墓終戦後のラスト近くただ無言で流れるのが、あまりに印象的だ。ようやく訪れた希望とは裏腹に、苦しんで死んでいった人をもはや悼むことしかできない無情。ここもまた泣きどころ。

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さて。高峰秀子演じる大石先生が小豆島の分教場に自転車を走らせて赴任してくるのは昭和3年(1928年)。先生はいったん学校を離れるが、終戦後の1946年、同じ分教場に戻ってくる。その間18年。教室にはなんと、かつて一年生だった教え子の子供も早や一年生として座っている。戦争があって人はどんどん死んだが、人はどんどん新しくもなる。

戦争というのは、この世で最も避けたい出来事であるのと同じく、どの地域や国においても最もドラマになりやすい出来事だろう。終戦から60年。そういう意味で、幸いにも日本は最大のドラマをずいぶん長いあいだ直接には経験せずにいる。あの戦後がただずるずるべったり生き長らえてきた。60年間、どこでいつからという曲がり角や区切りが明瞭にならない。しかし、どう考えても60年もたつのだから、変化だけは著しい。かすりを着た裸足の子供がいないのはもちろん、木造校舎ももう消えたし、学校と先生が今はあれほど親しまれ敬われてもいないだろう。

小説『二十四の瞳』は1952年に発表された。映画公開は1954年。そこからでも50年余り。その段階ですでに、戦中のことを戦後になってあれこれ言う小説や映画であったわけだが、現在からみればどっちも大昔であり、戦後まもない頃のことを、戦後はるか遠くまできた今頃からあれこれ言っても仕方ない。‥とも言えるが、もっとあれこれ言ったほうがいいとも言える。

あなたが小学一年だったときの教室は、1928年や1946年の教室と、2005年の教室と、どちらにその面影を宿しているだろうか。

だからといって、私が何を言いたいのか、よく分からない。

《十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる》。『二十四の瞳』は小説(壺井栄)も映画もこの言葉から始まる。

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映画では、はじめ小学一年生だった児童が、途中から6年生になってややマセた言葉づかいにもなって出てくる。時の流れをリアルに感じさせてしみじみするのだが、兄弟の子役をともに使ってうまく処理したらしい。

有名役者が若くして出てくるのも面白い。それにしても、大石先生の夫役のちょっとヘナヘナした感じのあの男優が、天本英世仮面ライダー』の死神博士)と知ったときは、たまげた。

なお、映画『二十四の瞳』は、1954年のキネマ旬報ベストテンで、黒澤明七人の侍』などをおさえて1位に選ばれたという。

◎小説『二十四の瞳』 ASIN:4101102015