東京永久観光

【2019 輪廻転生】

スティーヴ・エリクソン『黒い時計の旅』


パラレルワールドの面白さ、あるいは二十世紀世界史への批評といった視点でしばしば読まれ賞賛されてきたようだ。そこは同意する。でも個人的には、この小説はもうひとつ別のことを強烈に訴えかけてきた。それは、現実に起こった出来事や出会った人物と自分との切実な関係を特別に深めたいと願ったとき、その現実をモデルに虚構をひとつこしらえてみるということが、さほどヘンテコな思いつきではないんだな、ということ。少なくとも非常に複雑で怪しげな喜びと辛さがもたらされる。語ることや想うことは、現実に関わることに負けない痕跡を人に残しうるのだ。それを証明していくのがこの小説と言ってもいい。なお、小説は誰もが書くわけではないが、記憶や回想というごくありふれた行為も、ほとんど同じことだろう。過去に起こった現実あるいは起こりえた現実をいつまでも語り直し想い直しだんだんものぐるおしくなっていく行為なのだから。そもそも「現実と深く関係する」といっても、実は「その現実を強く想うこと語ること」に根幹を支えられているのではないか。

《ペニスもなし、花粉もなしで、彼女の卵に触れることができる。ペンによって、文によって、彼女の卵に触れることができるのだ。生命が彼女の中核に宿る、と私は書く。誕生まであと九カ月、と。》(柴田元幸福武書店版 p228)

それはそれとして、現在の我々にまで通じる歴史と地理の壮大な流れや動きをじっくり感じさせる読書は、楽しいものだった。そこはリチャード・パワーズ舞踏会へ向かう三人の農夫』を思い出した。アジアと日本の20世紀が題材でこれくらい重層的で奇想に満ちた小説があったら、ぜひ読んでみたい。

なお『黒い時計の旅』はことし白水Uブックスから復刊されてちょっと話題だった様子。ASIN:4560071500