東京永久観光

【2019 輪廻転生】

酔狂とアルゴリズム


このあいだドキュメンタリー映画の話になって、昔みた『あんにょんキムチ』のことを思い出した。まったく記憶のかぎりでいうと、在日から帰化した松江哲明さんという青年が監督兼主人公で、自分のアイデンティティのややこしさに気づいてとまどいだし、それでどうしたかというと、松江さんはそういう自分自身にハンディカメラを向ける。やがては、おじいちゃんの故国である韓国に渡り、一族の墓地を訪れ、そこに立つ自分自身をビデオに収める。

ふと、行為するということの重要さに思いいたった。私たちにとって行為とは、分析や論述と同一ではなく目的もはっきりしないけれど、どうしても欠かせない何かではある。コリアンジャパニーズが韓国に渡って先祖の墓まいりをしたからといって、在日をめぐる最も正しい理解や制度が浮上するというわけではないだろう。でも、わざわざ飛行機で国を超えてみて、ゆかりの墓を探し求める行為のなかに、何かがきっと解けていく、溶けていく、説けていく。

ドキュメンタリーを作ること。とりわけ、カメラなんかを回して自分や周囲の人がふだんやっていることをいちいち映してみること。「なんでそんなことするのか、意味が分からない」と言われるかもしれない。しかし、意味があるとしたら、まさにそういう行為をしてみることそのもののなかにある。分析ができなくても論述ができなくても、意味がないわけではないのだ。

というわけで、きょうは総選挙の投票日。仕事だというのに朝から真面目に投票所まで出かけ、議席をとれる見込みのまったくない政党に一票を入れてみたり、ついリリー・フランキーの名を鉛筆で書き込んだからといって、明日からの日本の政治にさしたる効力はないだろう。しかし私にとって選挙とは、1/100000000の権利を行使して議員や政策を選んで伝えることだけに意義があるのではない。毎度のことながらそう思う。

行為としての選挙はけっこう楽しくないこともない、ということだ。


◎ あんにょんキムチ asin:4811373383
◎ かつての感想 → http://mayq.net/hinomaru.html


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ただまあ選挙というのはもちろん、行為として面白いだけでなく、その結果いかんでは、近所の郵便局の看板がまた書き換えられ、通帳から消えていく年金や税金の額が如実に上下する。個人が世界の動きに唯一本当に関与できるガチガチのアルゴリズムであることもまた、忘れてはならない(のであります)。