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【2019 輪廻転生】

じゃ、そろそろ、まとめに入ろう(2)

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由
(スティーヴン・ウェッブ著、松浦俊輔訳)
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フェルミパラドックス」というのがある。地球外文明が存在するというなら「みんなどこにいるんだ」「なぜ訪ねて来ないんだ」というもの。高名な物理学者フェルミが昼飯のあとで同僚にぽろっと口にしたらしいが、考えてみるとこれが実に本質を突いていたというわけ。この「なぜ」に答える代表的な理屈を50あげて1つずつ検討していくのがこの本。

50の理屈は大きく3つに分けられる。彼らは、1「実は来ている」、2「存在するがまだ連絡がない」、3「存在していない」。いずれのパートも多彩で生真面目な知識と発想が乱れ飛び、心が踊る。そしていよいよ実質的な論議に入ったと感じるのは、やはり「存在していない」のパートだ。地球が・生命が・人間がそれぞれに希少であるという根拠がここにきて次々に挙げられていく。

そして最後の最後、著者は自らの立場を明かす。「宇宙にはわれわれしかいないのだ」と。とはいえ、地球に似た惑星の存在および生命の誕生や進化が皆無だと考えるのではない。それがこと人間のような知性である可能性となるとゼロに等しくなるという見解だ。では人間の何がそんなに珍しいのか。知能、言語、科学といった候補が浮上するなか、著者はとりわけ言語に焦点を絞っている。文法や抽象性をもった言語は人間だけのものでありチンパンジーやイルカにはどうあっても扱えないことなどを濃密に論じる。言語が人間に生得的すなわち進化の産物であることにも強く注意を促している。(でもこれ自体がなんというか言語が滅多に生じないことの理由といえるのかどうか…)

なお、我々は一人ぼっちだと著者が考える前提には、もし宇宙船や電波を飛ばせる文明が他にあったなら、どれか1つくらいは必ず銀河系に植民して我々を見つけてしまうだろうという強い確信がある。その確信は、パート2「存在するがまだ連絡がない」で挙げられた理屈の大半を排除していく展開として現れる。そもそもフェルミパラドックスは、宇宙人はなぜ地球に連絡してこないのかというものだった。つまり知性を宇宙船や電波を飛ばせるレベルに限定している。これは知性を狭く具体的に定義することだが、議論を明瞭にするにはちょうどよいとも言える。ちなみに、地球文明だってその宇宙船レベルに達したのはせいぜいここ50年だけど、という指摘もなかなか感慨深かった。


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この問い(地球以外に知性はありうるか=人間はどれくらい特別なのか)をぐっと考えていくと、何が分かればそれが解けるのかということは、けっこう決まったところに落ち着くようだ。だから同書の構成や推論も、網羅的だがいずれも想定の範囲内という感じがする。ところが、結論部を読んでいて、初めてじわあっと深く気づかされたところがあるのだ。うまく伝えられるかどうか、自分なりに消化した言い方でまとめてみる(同書の言明とイコールではない)。

人間ほど高い知能があまりに希有だとは、誰しも感じることがあるだろう。ところが今回気づいた要点はちょっと違う。チンパンジーもイルカも、さらにはコウモリもミツバチも、みなそれぞれ希有な存在だということだ。人間への進化が特殊だったように、チンパンジーへの進化もミツバチへの進化も特殊だった。つまりいずれも偶然の結果であり、いずれも狭く険しい道のりだったのだ。だから、地球の歴史を過去に巻き戻しても、もう二度とこのとおりの人間は出来ないだろうし、同じくこのようなチンパンジーやミツバチの出現もないだろう。

さらに考えるに、現在の地球に繁栄しているこれらの生物はみな、過去に繰り返された環境の激変に際して、適応して生き延びるだけの知能をそのつど蓄積してきた存在であると言える。それぞれ特殊な生物であるだけでなく、それぞれ特別な知性とみてもいいのだ。知性には定型があって人間だけがそこに達していると信じるかぎり、他の生物がその定型に近づいてくるのを気長に待ってもいい。しかしその期待は土台から間違っているかもしれないのだ。

このような考えがなんとなく不服だとしたら、おそらく、ある重要な事実を受け入れていないか、またはそれをつい忘れがちだからだろう。生物の変異はただデタラメに起こり、生き残るかどうかもそのときの生体や環境がどうだったかの偶然だけによるという事実を。自然はそもそも生物の知能を高めようなどという目的は持ち合わせていないし、仮に生物自身がそれを望んでも決してかなうものではない(とされている)。

我々はなぜライオンと話ができないのか。このことをもっと深刻に悩むべきなのだ。同じ地球に生まれ育ったライオンやチンパンジーやミツバチやタンポポとの会話ができないのに、はるか銀河の彼方にある生命体との交信がそれより容易なはずはない。初めてそう実感した。胸が熱くなり、そして寂しくなった。

著者は次のジャック・モノーの言を掲げている。「進化は翼が生えた偶然だ」「人間はいずれ、無情にも広大な宇宙の中に自分だけがいて、自分はそこから偶然によって生まれたことを知る」

実をいうと、この本の結論を読むまで私はまるきり楽観していた。地球外に生命は皆無ではなさそうだから、中には知性をもった存在もあるだろうし、知性をもっているなら我々となんらか翻訳可能な言語みたいなものを持っているに違いないと。今その確信はかなり揺らいでいる(震度5強)。


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ところで、http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20050721で、「数学と論理は宇宙を超えて普遍じゃないか」と、やみくもで大げさな問いかけをした。それと関係ありそうこと。

パート2「(地球外文明は)存在するがまだ連絡がない」のなかに、「向こうは別の数学を作っている」という項目がある。そこでは、数学とは「発見される」のか「発明される」のかというおなじみの二つの立場が示される。そのうえで著者は、言語の位置づけと同様だが、数学は、人間の祖先の脳が身のまわりの世界を解釈する方法としてあみだした人工物なのではないかという説明を、とりあえず打ち出す。すなわち数学は人間が「発明した」のだと。

しかしそうなると、我々の数学は普遍ではないということになり、その帰結として、地球外の文明によっては、たとえば整数という概念が考えつかなかったり、数と集合ではなく形と大きさの概念に基づく数学(?)を展開したりするかもしれない、と考えていく。

とはいうものの、なお微妙な気持ちが語られるのが面白い。《私自身は、そのようなエイリアン数学を想像するのは難しいと思っているが、私の想像力に足りないところがあるのはほぼ確実であり、そのようなまったく異なる体系が存在しえないことの証明にはならない。》《だからといって、われわれの数学が間違いだということではない。e^πi=−1という関係はきっと正しく、この宇宙のどこでもそうならざるをえないだろう(少なくとも私には、そうではないことがありうる場合は見えない)。しかし進化の歴史が異なる他の知性体は、eやπやiといった概念はどうでもいいと思っているかもしれない。同様に、われわれには思いつかなかった概念――あちらの環境では大事なもの――を得ているかもしれない。》

一般的な話になるが、地球外の知性や文明を空想するのに、この地球とは似ても似つかぬ星、この生命とは似ても似つかぬ生命、この知性とは似ても似つかぬ知性というのは、あまり真面目には考察されないようだ。つまり、我々は唯一の知性ではないとしても知性の典型だろうし少なくともその一種ではあろう、という所からはなかなか離れられないということか。まあ、知性とは何かを論じるにはまずそう捉えたほうが実効的なのだろう。あるいは、我々はそもそも知性というものを自分の身の丈でしか捉えられないのかもしれないし。とはいえ、そういう似ても似つかぬものへ思いをはせることは、無駄ではないだろうし、少なくともめちゃめちゃ面白そうではある。

さて、数学は普遍かという問いに戻るが、もし我々の数学とは似ても似つかぬ数学があるらしいとなったとき、「ほらやっぱり我々の数学なんて普遍じゃなかったのさ」ということになるのかもしれない。あるいはむしろ、その地球外文明の似ても似つかぬ数学すら取り込んで「いっそう普遍たる数学を想定してみようじゃないか」ということになるのかもしれない。いやこれはただ図式的に述べたにすぎない。実質的にはなにも考えていない。仮に我々とは違う数学というものを考えることができるとしても、少なくともそれは、我々のこの数学についてまずきちんと把握したうえでの話だ(自戒)。


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しかし最後に、ここまでを完全にリセットするようなことを言ってしまうが――。宇宙のどこにどんな知的生命体が存在しようと、彼らは必ず言語や数学と呼べるものを持つのではないか。しかもその言語や数学は、けっきょく我々のこの言語やこの数学とかなり似たものでしかありえないのではないか。そして実は、我々もふくめてあらゆる知性というものは、みな普遍的な知性なのではないか。…なんていう思いも実はまだ消えない。というか、まだ結論に近づけるほど事実を知らないし思考してもいないのだった。=続く=


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http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20050721を書いたとき、私の机には『宇宙誌』(松井孝典著)一冊だけがあった。この問題を考えるのに、宇宙や惑星が実際どのように生成されて今どんな状況にあるのかは、極めて重要な条件として考慮に値する。SFでなく科学としては、なおさらそうだろう。しかしその宇宙の実際については今回もまったく触れられなかった。『宇宙誌』にもその基礎がまとまっていたと思うのだが、またいずれ。asin:4198908818

で、『宇宙誌』に続いてどしどしこういう本を読もうと思って、ふと図書館で『広い宇宙に地球人しか…』を見つけたのだが、大当たりだった。それにしても、この世に本は星の数ほどあるのだから、こういうことが書かれている本は他にもたくさんあるはずだ。でも、もしそうなら、なんで私はまだそれを読んでいないんだ?