東京永久観光

【2019 輪廻転生】

この世は小説と小説以外で出来ている(のかも)


保坂和志書きあぐねている人のための小説入門』  ASIN:4794212542


べつに書きあぐねているわけではないが、読んだ。保坂はいつも、だらだら思いつくまま書いているようで、しかも単純なことの果てしない繰り返しのようでもあるのだが、それでも、こうした考察のなかで、なるほどと引き込まれるのは、この人のもの以外にはなかなかない。やっぱりそれだけ小説にまつわる切実な意見がここには詰まっているのだと思う。

我々は読んだ小説について何か語ろうとする。しかしそれは小説を読むのを中断してしかできない。だから、小説を語る・論じるという行為は、小説を読んでいる感触そのものからは、どうしても少し遠ざかってしまう。だから小説を語るのは難しい。でも保坂の考察に触れているときだけは、小説を語るときの私の気持ちではなく、小説を読んでいるときの私の気持ちが、そのまま立ち上がってくる気がする。そうだ、小説の不思議さ面白さとはこういうかんじなんだよと。

というわけで、小説を書きあぐねているかどうかはさておき、読みあぐねてしまうことや語りあぐねてしまうことが誰にももっと頻繁にあるわけで、そのときもきっと役に立つ。

ただ実は、小説とは何かということになると、当然かもしれないが、それを実際に書くことで分かることは多いのだろう。小説を書かなくても小説のことが(保坂なみに)分かるという鋭い人もいる。しかしそうでない人は、ひとつ小説を書いてみるというのが、小説の不思議に近づく王道にちがいない。私も小説を書いたことがないわけではないが、もうすっかり忘れている。ひとつ書いてみなくてはいけない(そしてまったく書けないことに気づかなくてはいけない)のかもしれない。


*ひとこと追加。
小説を語ることは、なにかを言うという点では小説を書くことに似ているようにみえるが、でもやっぱり小説を書くというのはもっと完全に独特の作業なのだろうと感じる。この世が小説と小説以外で出来ているかもというのはそういうことだ。しかし一方で、保坂はよく、作家は小説を書きながら誰よりもその小説を読んでいるのです、といったことを強調する。そうすると、読者は、小説を読むということを通じてであれば、小説を書くということに、実は少し近づけるのではないかと思う。