東京永久観光

【2019 輪廻転生】

脳内無差別発注


《こっちにいると、amazon に発注してから届くまでに 2、3週間かかるでしょ。だからいっぺんに50〜100冊くらいざっくり注文することになって、自分の目で確かめて選ぶのに比べると、ハズレ率が10倍くらいになっちゃうから、お気に入りを絞るなんて贅沢なことはやってられなくて。》(リリカの仮綴じ〆
』より

お気に入りを絞るという贅沢の前に、私がしてみたい贅沢はもちろん、死ぬまでに一度でいいから本を50冊〜100冊いっぺんに注文してみるという贅沢だ。さらには、それ自体が贅沢だなどとはひとつも口にしないような贅沢だ。

そんな贅沢は生まれ変わらないとできない。中年ならそう感じてしまう。だがじつは青年も似たようなもので、今そんな贅沢はできない青年が中年になればできるようになるというのは一般的でなく、大半はけっきょく生まれ変わるしかない。――とはいえ望みを捨てないことは自由だ。まあ5冊〜10冊くらいから始めてみようじゃないか。いやべつに日本在住のままでいい。青年でも中年でも老年でもいい。

それでも、ある高校生が現在こういう贅沢に恵まれているかいないかは、知能の差もあろうが、まずは経済の差だ。つまり単に親が富裕か貧乏か。バカの壁よりカネの壁。

同じ地球の裏と表にあって、いやそれよりも、狭苦しい同じ国の近所やブログの近所にあって、こうしたいかんともしがたい圧倒的な不均衡を知り、それによって、いかんともしがたい可笑しさや哀しさではなく、いかんともしがたい怒りに囚われてしまうとき、人はテロを夢想するのかもしれない。たとえば、恵まれた誰かのIDを盗みだし50万〜100万冊の本を勝手に注文してしまえという無差別テロ。それがダメなら恵まれない自分のIDでそれをやってしまえという自爆テロ――いやこれじゃ単なる自爆か。しかしそんなことをするくらいなら、これくらい恵まれた娘を一人自らが育てあげる夢想に生き甲斐を見いだしたほうが、いくらかはマシというもの(脳内やネット内でもいいから)。

それにしても。書籍をたとえば月に100冊コンスタントに購入している人は日本中だと何人くらいいるのだろう。たぶん私の身近にはいない(身近な高校生にはもっといない)。だが「はてな」にはいそうだから、ウェブというのはなかなか果てしなく捩れた世間だ。

しかし一方、日本のオリンピック選手は今回312人で、約40万人に1人という計算になる。その希少さは「アマゾンでいつも50冊〜100冊ざっくり注文する人」の希少さをも上回るのではないか(逆に、日本で最も本を多く買う上位312人は、いつも何冊くらい買うのだろう、恐ろしい)。

こういう想像をしていて、ではメダリスト級の金持ちとはいったいどれくらい凄いのかと気になった。長者番付(参照)を見ると、国民平均の100倍から1000倍にも達するようだ。ただこんな数字、ふだんはよそ事に思っている。でも、たとえば「本を月1冊買う人:本を月100冊買う人」の格差も絶望的だが、所得の格差はそれを上回って気が遠くなるほどなのだということをたまには実感したほうがいい。それはもう私の前を北島が泳いでいるほどにぶっちぎりの富裕なのだ。やはりいかんともしがたい。…というか、さすがにいかんよそれは。