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【2019 輪廻転生】

朋輩!


芥川賞の「介護入門」(モブ・ノリオ)を読んでみた。濃厚な呪詛の繰り言がなんとも身につまされるなかで、その自虐ぶりの厭わしさよりもその自嘲ぶりの好ましさのほうが辛うじて勝る、そんな状態でページが進むと、やがて趣旨は、人の道を根源的に極め行わんとする実践報告へと転じていき、これには、説教される厭わしさより畏怖させられる好ましさのほうが十分に勝り、感動的に読み終えることができた。

それにしても、照れや恥じを承知のうえで俺がこうでしかありえなかった人生とか半生とか呼んでいいような大袈裟な落とし前を一度はつけてみる試みが、もはや終わったと見限られている小説という方法で、今なお可能なんだなあとちょっと思い直した。いや、そんなおのれの決算なんてものには拘らない形でこそ、芸術表現は大いに多様化し進化もしたのだろうが、それでもその拘りにあえて限定してみるならば、小説はやはり今なお優位にあるのではないか。

そこはまあブログも同じかもしれない。ただ、書き直しも言い訳も絶対できない形で、100枚くらいには長い文章を、こうしかありえない個性や語りのチャーミングさもきちんと盛り込んだうえで公的に完結させるとなると、やっぱり意気込みが違うように思う。小説は誰にでも書ける(機会)が、誰にでも書ける(能力)わけではないということだ。当然この作品だって、老人介護のマニュアルになりうるだけでなく、言語表現のマニュアルになりうる。そのような積み重ねを感じる。だからこれは自己介護入門でもあるのだ。

デビュー作がそのまま芥川賞という例はそれほど多くないのではなかったかな。「介護入門」が文學界新人賞をとったときの作者の第一声。《「それで明るい未来が開けるとは、俺にはあまり思えないのだが」受賞を旧友に知らせると、暫しの沈黙からこんな言葉が返されて、的確すぎる彼の言葉に…」》(同6月号)というものだった。今度は芥川賞だから格は違うのだろう。それでも、芥川賞がかりにもこれほどの注目や敬意を国民から集めるのであれば、それに見合って1億円くらいは政府予算から作家に無条件で提供してはどうだろう。厚生労働省社会保険庁の腐敗や官僚天下りの確保にケタ違いの公金が消えていっているかもしれないのに比べたら、遥かにましな投資だ。介護も創作も金があれば成功するとは限らないが、金がなければまずたいてい失敗する(とも限らないぜ、という小説が「介護入門」なのかもしれないが…)。