東京永久観光

【2019 輪廻転生】

奏でるブログ


土曜の午後。吉祥寺の井の頭公園は賑やかで、売りもの鳴りもの種々あるなか、なんとテルミン!。演奏するふりをしているのを見たことはあるが、演奏しているのを見るのは初めてだ(区別はつきにくい)。なんともやわらかで不思議なサウンドだった。手先だけを微かに動かす神妙な顔つきは、まるで超能力者、あるいは地下水の在りかでも探しているような風情。だが近所のおじさんは「黒田節」をリクエストする。

楽器の演奏がこれほどまで身体と一体化してしまうというのはすごい。動物が声を出すのに似ているかも。だったらテキストの入力装置としてキーボードの代わりにならないものか。まいど言葉をあれこれ探して選んでいちいち打ち込んでやっと考えが表示できるという手順は、なんかもうまどろっこしいので。手のひらを微妙に調節することで自分の思いにぴったりの言葉が生成できるとしたら素晴しい。

ただしテルミンは、アンテナと右手との距離で音の高さが決まり、もうひとつの金属と左手との距離で音の強さが決まる。実にシンプルな原理でしかない。私の考えを託された日本語はもう少し複雑だろう。…複雑だろうか? 分化し体系化した言語という方式に合わせることで、思考も複雑になったように見えるけれど、もし方式そのものが違ってしまって、それでやるしかないとなったら、それならそれでなんとでもなるのではないか。あるいはテルミン自体が進化を極め、やがて複雑な感情や思考まで自在に伝達できるようになっていくとか? 

いずれにしても我々が、知や情の媒介方式を大胆に変える夢を模索することには意味がある。なぜなら、人類が蓄積してきた言語というのは、量も質も個人が把握できる範囲など遥かに超えてしまっているのだろうから。この媒介方式のままでは、たとえば一晩サイトを巡回するだけで、もう消化不良や機能不全に陥ってしまうのが常だ。