東京永久観光

【2019 輪廻転生】

感想の始まる前の長い長い話


小泉首相が辞任した。

教師の言うことを聞かない児童は殴るべきだし、それで死んでもかまわない。

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通常こういうところにこういうことを書けば、事実である、あるいは私の主張であると受けとられる。「嘘を書くな」「べつにホントだなんて言ってません」とか、「その考えはおかしい」「いや私がそう思ってるわけじゃないよ」といった言い訳は通りにくい。ところが、これがたとえば小説なら事実でなくても私の主張でなくてもいい。おもしろいことに、事実や私の主張であってもいい。書き手自身がきっと賛成なんだろうとも、むしろ反対なんだろうとも、思われることや思わせることが期待できるし心配されもする。私はまさかそんなこと考えてませんよという建前をとりながら、他人に強くそう信じさせることもできる。

何を当たり前のことを…と言われそうだが、小説という形式が実はかなり珍種なのだと気付かされる一方で、それに比べてブログは、日付とともに進行したりリンク機能があったり追加訂正が無限にできたりといった空前の多様性を持ちながら、上の観点からはかなり厳格なルールが守られているということが、なかなか不思議に感じられるのだ。

でもまあ、我々は小説というものに長く馴染んできたせいで、その独特な叙述の作用を知らず知らず取り入れながらブログを書いたり読んだりしている可能性もまた大いにある。またネット全体を眺めれば、以前も触れた「電車男」などは、ブログより小説に近いと言っていい(参照)。しかも、書き手が複数という点が小説からみれば驚くべき新種の出現を意味するのに加え、ブログにも小説にも収まらない摩訶不思議な叙述のルールが新たに成立してきたようで、きわめて興味深い。

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さて、そんなことを言って最後に風向きは逆になるのだが――。もちろん小説というものの総力戦には恐るべきものがあるのは言うまでもない。だから無人島に持っていくなら、やっぱり「電車男」より『本格小説』。それはなお揺るがないなあ。