東京永久観光

【2019 輪廻転生】

この世は無駄に満ちている


文字入力プログラムの設定に拠るが、たとえば人名で「今田」と書きたいのに「今だ」か「未だ」が出てしまう。それがどうもしゃくだから、近ごろは裏をかいて「いまださん」と呼び込んで「今田さん」にしてから「さん」を消す。「内田」も同じだろうと、「家だ」「内だ」を避けるべく「うちださん」と勝負に出たら、なんと「打ちださん」と反撃され、半分むかつき半分わらう。こうなったら、「うちだひゃ」くらいで「内田百間(間の字は門がまえに月が正しい)」と一発変換できるよう文字登録してしまおうか、などと考えるこの頃だ。

以前勤めていた郷里の会社で、ある上司が温厚な風体でどことなくえびす様を彷彿させることから、部署のワープロを「えびす」と打てば「○○社△△局 ××××局長」に変換するよう設定しておいたところ、当の××局長自身が文書作成かなにかで「東京都渋谷区恵比寿…」とやろうとしたら、なぜか自分の名前が出てきて大いに首をひねった、という実話がある。

というわけで、内田さんの随筆集を最近またちびちび読み返しているのだ。これがまあ「シブおかしい」とでも言おうか、百間の魅力はちょっと古い壷や茶碗の世界に似ているのかもしれない。

「間抜けの実在に関する文献」「百鬼園先生言行録」等がその粋を極めると思われるが、それは改めてということで、きょうは「百鬼園新装」という掌編が面白かった。新装というのは、外出の服を貰いものの外套などでずっと済ませてきたが、いよいよボロボロになったので新しいのを買わねばならない。しかし金はない。さあどうするという話だ。それがなぜか教授室の場面になり、同僚が湯たんぽで手に火傷したという話を聞いていた百鬼園先生が、この事態は「水から火が出た」のだと考えるに至る。しかし物理の教師は「そんな事は出来ない」とぴしゃりと否定、「それは焼ける物体の発火点の問題ですよ」とたしなめる。化学の教師も出てきて「諸君、火と云うものを知らないから、そんな解らない議論をするのだ」と言うと、火傷の本人がここぞとばかり「知ってるよ君、火とは、さわれば熱いものさ」。すると「いや違う」と百鬼園先生、「火とは熱くて、さわれないものだよ」。しかしその帰り道、百鬼園先生と連れになった数学の教師が一言「さっきのお話は大変面白かったですね。しかし、水は物質で、火は現象ですよ」。

これを受けて百鬼園先生は、つらつら考えだすのだが、そこはもう引用するに如くはない。《百鬼園先生思えらく、金は物質ではなくて、現象である。物の本体ではなく、ただ吾人の主観に映る相に過ぎない。或は、更に考えていくと、金は単なる観念である。決して実在するものでなく、従って吾人がこれを所有するという事は、一種の空想であり、観念上の錯誤である。

これでもう十分おかしい。だが真骨頂はそのすぐあと。長くなるがやはり直接味わっていただきたい。《実際に就いて考えるに、吾人は決して金を持っていない。少なくとも自分は、金を持たない。金とは、受取る前か、又はつかった後かの観念である。受取る前には、まだ受取っていないから持っていない。しかし、金に対する憧憬がある。費った後には、つかってしまったから、もう持っていない。後に残っているものは悔恨である。そうして、この悔恨は、直接に憧憬から続いているのが普通である。それは丁度、時の認識と相似する。過去は直接に未来につながり、現在と云うものは存在しない。一瞬の間に、その前は過去となりその次ぎは未来である。その一瞬にも、時の長さはなくて、過去と未来はすぐに続いている。幾何学の線のような、幅のない一筋を想像して、それが現在だと思っている。Time is money. 金は時の現在の如きものである。そんなものは世の中に存在しない。吾人は所油しない。所有する事は不可能である。

私はもう、ありがたさゆえか、脱力ゆえか知らないが、ひたすらこうべを垂れるのみだった。しかもこれはまるで岩井克人貨幣論』ではないか。いや、百鬼園先生の思索はそのような枠に収まりきるものでもない。なにしろ、この「百鬼園新装」など五編をまとめた題名が「貧乏五色揚」となっていることの馬鹿馬鹿しさなど、愛でる言葉がまったく思い当たらない。

現在、ちくま文庫から「内田百間集成」シリーズが続々刊行されているのが話題だ。私もいくつか読んでいて、『大貧帳』なんていう一冊もあった。でも今回は新潮文庫百鬼園随筆』から。昭和8年に百間最初の随筆として出版されたものだという。芥川龍之介が百間を描いた図が表紙になっているところも見落とせない、というかいや、こんなもの見落としても本の中身と同じくちっとも構わない図、というか。

さてさて、金がないという困難は、ゆめゆめ生易しいことではありえない。それで人生や世界を呪ったりしても十分納得できる理由だと思う。しかしそれでもやっぱり、たかが金じゃないか。そうやって時にはふっと楽になってみるのも悪くない。たしかに金がなければ、冗談じゃなく死んでしまうのかもしれない。それでも、金がないからといって、いくらなんでも自分から先回りして死ぬことだけはないじゃないか。どうも「長生きしますね」と言ってやりたい内田百間だが、実際かなり長生きした。

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