東京永久観光

【2019 輪廻転生】

のんきな日本の私


高橋源一郎メイキングオブ同時多発エロ」(群像3月号)。「力」による支配というものがどんなからくりになっているかの寓話? ――純朴ながらそう受けとめた(といっても実際は、女生徒が跳び箱のかげで教師に暴行される話なので注意!)。ではこの「力」というものに「知」や「金」はどう絡んでくるのか。女生徒を煽動する姉は、「知」はむしろ「力」の支配を隠蔽しているとみなし、「知」を一掃するような(性)教育を模索していく。その一方「金」については、「力」を支えるような、「力」に抗するような、どちらとも言えない《ほのめかし》だけがあり、その微妙さにむしろ感じ入った。

この連載しばらく読んでいなかったので前後関係が分からないのだが、今回は最後になって場面が変わり、どうやらテロをテーマにしたビデオ作品を作ろうとしている「わたし」が出てくる。「わたし」は作品作りのヒントになる映像をたくさん見たらしい。しかし「わたし」と対話している相手は、ヒントというのは「ヒント」という言葉でしかない、きみはテロの映像など一つも見ていないのかもしれない、と批判する。「なぜです」と「わたし」が問うと、相手はこう答える。《「なぜって、ほんとうのところ、テロの映像は、たったふたつしかないからだよ」「ふたつ?」「そうさ。テロリストが見た映像、そして、テロによって殺された人間が見た映像。それだけが、『テロの映像』で、その他は、ぜんぶ見当外れなのさ」

やはりというべきか、「力」をめぐって「知」や「金」に続いて「命」が浮上してきた。このところ私なりに考えていることの役者もこれで揃ったかなという感じがした。

考えていることというのは――。イラク反戦デモ等に、私はホントは行きたいのか行きたくないのか、どっちなんだろう。べつに悩まなくてもいいことにわざわざ悩んでいるうちに、これはどうしても、先日判決が出た落書き反戦のような運動や、千代田区たばこポイ捨て抵抗のような運動について、支持や参加をするつもりが私にあるのかないのか、そこを問わねばならない気がしてきた。さらには、戦争問題よりもっと切実かもしれない経済問題をめぐって、たとえばもしも「新生銀行なんて株式操作でつぶしてしまえ」という運動が起こったら、どうしようか。さらには瀕死の土建業界も結託して実働部隊を出動させ「新生銀行なんてショベルカーでつぶしてしまえ」とエスカレートしたらどうだろう。そして究極、自爆テロは、市民運動や社会運動たりうるのか。それとも(何度も言っているが)今の私に自爆テロだけは圧倒的な他者であり、議論や想像や小説では「見当外れ」にしかならないのか。それは本当か。