東京永久観光

【2019 輪廻転生】

マイノリティ


娯楽系に分類されない文芸書を読むことは、いま平均的な習慣や話題としては成立しにくい。そのことはつねづね弁えている。いや私自身ほんの数年前からなんとなく読んでいるにすぎないのだ。じつに寂しい乏しい趣味だと思う。ましてやその感想文など誰が読むか、と思いつつ、やぶれかぶれで長々と書いた。先日からハマりこんでいた阿部和重シンセミア』の評。やっと完結した。


→「写実、叙述、呪術 ?」


こういう時、たとえばかつての同級生45人のうちなら何人がそうするだろう、というふうに私は昔からときどき考える。きのう成人式に出た100人のうち『シンセミア』を読むのは何人くらいかなとか。壇上でクラッカーを鳴らす人の数とどっちが少ないかなとか。


実際正月には高校の学年同窓会なんてものがあった。120人ほどの出席だった。でもやっぱり、阿部和重が好きなんていうやつはめったにいないだろう。まさか読んだのは120人中私1人とか? 校内マラソン大会で優勝したような(というか一人だけおいてきぼりになった)気分だ。いや、人の好みは十人十色なのであって、嘆いているわけでも読めよと言っているわけでもまったくない。そこは誤解しないで。だいたい読書を他人に強要するなど警察の任意同行くらい悪質だ。ただ私は、高校時代は目立ちはしないがかなりヘンなやつだったかもしれず、その後の歳月はそれを挽回するようなつもりがなかったわけでもないのだが、今となってまた私は違った意味でヘンな位置に来てしまったような気がして、なんだか黄昏てもくる。


でも、郷里のある友人は『シンセミア』を読もうかなと言っていた。なんでも図書館で探したら貸出中だったそうで、「きっと*君が借りているに違いないと私はにらんでいる」などと、こちらもよく知っている別の友人の名を挙げる。たしかに福井市は20万人あまりの小都市だ。でもそこまで『シンセミア』の世界は狭いか? 学級文庫じゃないんだから。


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