東京永久観光

【2019 輪廻転生】

なんだこりゃ!

奇妙、という形容を私は年に何度やれば気がすむのかという反省はあるのだが、今までのを全部取り消してもいいから、こと冨永昌敬監督の短編連作『亀虫』にはこの形容を使いたい(それだけでは何の紹介にもならないが)。→公式サイト ●その雰囲気を伝えられそうな展開を、たとえば第1話「亀虫の兄弟」から思い出しつつ書き留めると――。●主人公の男がアパートに帰宅すると、予想どおり妻がいない。しばらくすると玄関ベルが鳴る。ドアを開けると幼なじみの男。即座にずるっと入り込んでくる。何をしに来たのかわからず、ちぐはぐな会話が進む中、幼なじみの口調や態度が醸しだすなんとも厄介な疎ましさが、じわりじわりと忍び寄り、やがて、幼なじみは主人公の姉と結婚したのだと唐突に告げる。そのうちに、泊まり込むつもりの幼なじみは、持参した寝袋を着込んで床にまるまっている。ああそれで亀虫なのかなと思うと、主人公の独白ナレーションも幼なじみをそう呼んでいる。幼なじみが勝手にオーブンのスイッチを入れたために、電気のブレーカーが落ちるが、その瞬間あっという短い女の声が聞こえる。主人公の男はそれで何か大事なことに気づいたらしく、壁の戸棚から本を急いでかきだす。そこには数十センチ四方の穴があき、奥にはなぜか隠し部屋があって、妻が取りすました表情で生活しているではないか。●このように進行する不条理さと可笑しさの絶妙なバランスは、ある種の漫画的、といっても、これもただ言い換えただけだが、とにかくそういう形容がまたふさわしい。

●『亀虫』が何に似ているかを考えて、ふとカフカかなと思った(カフカの小説で笑えはしないが、それは別として)。虫のイメージで『変身』かというとそうでもなくて、どちらかといえば『城』や「田舎医者」のほう。おかしな出来事とおかしな展開は、どうなじめばいいのか核心がつかめないのに、それでもそのままなじんでしまう自分がいて、なおさらおかしい。そんな感じ。●それがどういうズレなのかを見極める余裕や足場を確保できないまま、場の現実感が微妙にしかし否応なくズレていくところに、首をひねることと笑うことが乗り入れている感じは、松本人志の『ごっつええ感じ』の一部や、記憶は不確かだがビデオ作品『VISUALBUM Vol.バナナ「親切」』などにも似ている。●それから、金鳥のテレビCMで、川崎徹のものと市川準のものを混合させたなら、『亀虫』のムードが出来上がるかもしれない。●もうひとつ。『爆笑問題のバク天!』という新しい番組がある(最近注目のコンビ、インパルスも出演)。ここでの太田光は、まるで所属していた学生サークルにOBとしてやってきたみたいな、安定して楽しげなノリに見える。その太田が歴史上の人物について語るコーナーがあり(きのうはコロンブスを紹介していた)、そこでの太田は、弾けるべくして弾けたといった新境地をちょっとだけ感じさせる。きのう見ていて、それは語りを支えるエクリチュール(語義矛盾?)がふっと横滑りしていく可笑しさだ、と思った。で、『亀虫』においても、セリフと語りの交錯や場面進行におけるエクリチュール(?)が、それに似た横滑りを小さくたえず生成させている、ということが言えるのではないか。はっきりそうとは気づかないながらも、やはりそれが感じとれるからこそ可笑しいのだ、きっと。●しかしまあ、こうやって「何に似ているか」ばかり示してお茶を濁すことも、私はまたじつに多い。それでも何も書かないよりマシだろうと、書いた次第。●ついでに、似ていないものもひとつ。最近チャン・イーモウの映画をNHKで連続して見た。『秋菊の物語』と『菊豆』。そうしたら意外なことに、チャン・イーモウのつまらなさにも思い当たった気がしてしまった。『秋菊の物語』などとても気に入っていたのに、もうこれで十分とも思った。これは前後して見た『亀虫』の影響がある。特に『菊豆』はいわば穴で始まって穴で終る物語だが、「亀虫の兄弟」の穴が何ものをも象徴せずどのようにも分節されない穴自体であると考えられるのと、まったく好対照であり、そういうところがつまらないと感じたのだろう。

●『亀虫』について「学生の自主製作映画にありがちな世界かな」という感じもあった。しかし、第1話から順に場面や進行を書き留めてみると、上にようにどうあっても驚くほどキテレツな世界が再現されてしまう。●なお、こうやって反芻してみた動機は、『偽日記』(03/11/12)で『亀虫』が絶賛されていたことが大きい。

奇妙:奇異。変。妙。おかしな。おかしい。へん。変てこ。面妖。きてれつ。けげん。奇矯。突飛。不自然。変ちくりん。変てこりん。不可解。珍異。風変わり。けったい。妙ちきりん。いぶかしい。異。怪しい。こっけい。(『シソーラス検索』より)