東京永久観光

【2019 輪廻転生】

至上経済

●このあいだ山形浩生氏のインタビューが『エキサイト ブックス』に載り、そのなかでクルーグマン氏の著作に出会った衝撃がとても正直に告白されていたので、だったら今度こそと思い、『クルーグマン教授の経済入門』(山形訳)を読んだ。●積年の不景気のせいか、経済の話というのは、まるで健康の話か旅行の話であるかのように、いつのまにか日常ディレクトリに降りている。そこでは、いろいろ得意げに語られてすっかり自動化した理論展開も多々あるようだが、この「クルーグマン+山形」本は、そうした流れのみなもとを作ったうちの一冊だろう。そう確信させる面白さ、詳しさ、わかりやすさがあり、ようやくそれを共有した気分だ。「日本の不況対策にインフレを起こせ」というおかしな理屈も、そうおかしくは思えなくなっている自分がいて驚くけれど、それもまさにこのコンビの功績だろう。●さて、この書物は、この世において生産性ということがどれほど重要であるか、そして生産性ということがどれほど制御できないものであるか、そんなことをスパっと述べる。その本旨は同書をあたってもらうとして、私がふしぎに興味深かったのは、「人生、お金より大事なものがあるんじゃない?」という必然的な反問が、あえて冒頭も冒頭の訳注で先取りされ、そこにおいては、生活水準を別の指標で計ってこそ人類の新しい方向性も見出せようといった、おもいきり反経済的にもみえる山形氏の断りが一応入っていることだ。経済とは幸福への捨て階段であって、経済に何ができて経済に何ができないかが見極められたとき、はじめて経済という難問は乗り越えられる。そんな構図がふと思い浮かんでしまった。

●もうひとつ思い浮かんだ。「とにかく生産されるべし」という大原則は、あらゆる価値観やモラルを抜きにして成立しているらしいのだけれど、そうなると、「とにかく生産したくない」「経済、生産、仕事、金稼ぎ、そうしたことの一切が嫌だ」という人や思いもこの世にはまちがいなく存在していて、そっちの側は本当に立つ瀬をなくしそうだということ。●とはいえ、経済というのは、人と人あるいは人々と人々が、放っておいても好き勝手に交易や交流を始めてしまう、そんな自然現象のような生存形式を指しているのかもしれないと、最近は考える(放っておいても好き勝手に言葉の交換が始まってしまうのにも似て)。そうすると、「とにかく生産したくない」という気持ちは、なにか根本的に錯誤なのか? それとも、「とにかく生産されるべし」がこの世の真理であったとしても、現実に行きわたっている生産のありようが普遍のものというよりたまたま偏狭なものになっているせいで、「この生産形式では、とにかく生産したくない」という気持ちなのか? どっちだろう。大きな疑問だ。●そんななかで思うことは、「なにかをする=なにかを生産する=なにかを交換する」という行ないが、なにか別のことを行いたい得たいがために仕方なくではなく、それをできるだけ回避しながら、戯れに、試みに、あれやこれや、そうこうしているうちに妙なことが始まっていた営まれていた、というふうであったなら、それはとても理想的な経済なんじゃないかということ。●こうした思いを巡らせるなら、たとえば次の出来事が参考にならないともかぎらない。ということで、唐突ながらリンク。その1その2リンクもまた素晴らしい経済なり(なにより経済的だし)。

asin:4840200017 asin:4532192021(文庫)