東京永久観光

【2019 輪廻転生】

わが青春に悔いなし

●お盆休みに、高校時代の学年あげての同窓会があったらしい。私は東京に住んでいて住所不明だったせいか、連絡が来なかった。のではなく、単にみんなから嫌われているのではあるまいか? などという神経質が、溢れんばかりの懐かしさのなかにも微妙に巣くっているのが、十代の思い出というものですね。同窓会のホームページがあって今回の写真がアップされていると教えられ、ブラウズしてみた。たくさんあった。なべて和やかな語らいの風景だ。●これとは関係なかったのだけれど、その少しあとに、『地下室の手記』というドストエフスキーの中編(江川卓訳)を読んでみた。これがまあ、自虐と悪態の暴風すさまじく、読む者を否応なくなぎ倒していく。主人公は徹底的に嫌なやつ、酷いやつ。だからあるいみ凄いやつ。自分と世間の両方に対する、理詰めの、憎悪と癇癪が、めらめらめら…。この「め」に濁点でも打たなければ足りない、そんな尊大かつ卑屈な独白がつらつらと続いていく。いやぁまいった。●主人公は40歳になってそうした自らの人生と哲学を振り返っているのだが、暗澹たるキャラは十六歳にしてすでに全開だったことが明かされる。そう、彼の学生時代が回想されるのだ。同級生に軽蔑や敵意の目しか向けず、その結果か原因かはともかく、友情を育むといったこととは予想どおり無縁だった。ところが、主人公が成人し就職したあとのストーリーとして、とりわけ折り合いの悪かった同級生の一人が出世し転勤していくのを仲間たちが祝福するという飲み会に、誘われもしないのに割り込んでいく。その結果、レストランの丸テーブルでは目も当てられない会話が展開されていく。●「さすがにここまで無茶苦茶なやつは、このクラスにはいなかったよなあ、おれ以外には」……といった内心を覆い隠しているような人が、同窓会写真の一様に幸せそうな集団のなかに、一人くらいはいないだろうか。そんなやつは同窓会なんて行かないのか。●そういえば、ちょっと前、高校時代のいじめの仕返しに爆弾を作ってしまった人がいた。あれも郷里福井の出来事だった。


●『地下室の手記』でもう一つ忘れがたきエピソード。あるところで見知らぬ将校が自分のことを軽くあしらった。それが許せず、何年にもわたってその将校を追跡することになる。しかも、その将校は街路で自分とすれ違うときいつも堂々としているのに、自分はなぜかついよけてしまう。それがなおさら悔しくて仕方がない。●《どうしておまえのほうがよけて、彼のほうはそうしないのだ? 何もこんなことに規則があるわけもなし、法律できまっているわけでもないだろう? ひとつ対等に、つまり礼儀正しい人間同士が出合ったときのように、ふつうにやればいいじゃないか。向うが半分譲ったら、こっちも半分譲って、おたがい敬意をはらいあってすれちがえばいいじゃないか》。●そこで、自分は将校と対等な人間なんだということを証明すべく、立派な服装を借金してまで整え、機会を待ち、きょうこそ肩をぶつけてやるぞと真正面から近づいていく。こんな馬鹿馬鹿しくも渾身の闘いが、大まじめに実行される。●最近読んだ漫画『最強伝説 黒沢』(福本伸行)の、アジフライのあの涙ぐましき一件を思い出さずにはいられなかった。●また、吉田戦車伝染るんです』のかわうそ君も思い出された。作中、かわうそ君の苦悩は饒舌に記述されていたわけではなく、ポーカーフェースの呟きから内心を窺い知るだけだったが、家に独りでいるときは、もしかしたら『地下室の手記』みたいな日記を綴っていたかもしれない。
●なお、『地下室の手記』の主人公には羞恥心、気弱さといった部分も相当あって、そこのところは大宰治っぽくもあった。ただ『地下室の手記』のばあいは、恥知らず、強情さといった部分が、それを上回ってしまうような具合なのだ。●それでまた思い出した。こんどは私が大学に入ったときの話。クラスメートの自己紹介をまとめた冊子が手づくりされた。質問項目に「感動した本は?」とかいうのがあったのだが、複数の人が同一回答をした本が一冊だけあって、それが『人間失格』だった。●でもこれ、まだちゃんと読んだ本が少なくて『人間失格』くらいしか思いつかなかったとか、『人間失格』なら回答としておさまりがいいだろうとか、にすぎなかった可能性もある。が、真相はわからない。また、「感動した本」に『人間失格』を挙げた人が、そのころから読書の深みにはまってさわやかな青春を送れなくなってしまった、かどうかも、もちろんわからない。『人間失格』と書いた犯人は誰だったのか。それも実は忘れている。そういうことは小説にでも書いてみないことには決着がつかないだろう。ということで、こんどは『ノヴァーリスの引用』(奥泉光)というのを思い出した。●読書の深みにはまるとは、たとえば、こういうこと。《…家にいるときは、ぼくはたいてい本を読んでいた。ぼくの内部に煮えくりかえっているものを、外部からの感覚でまぎらわしたかったのである。ところで、外部からの感覚のなかで、ぼくの手に届くものと言えば、読書だけだった。》(『地下室の手記』より)。

●なお、『伝染るんです』『地下室の手記』『人間失格』の類似を指摘した文章がすでにあったので、リンク