東京永久観光

【2019 輪廻転生】

賭け時(1600円)

もう20年も昔かと遠い目になる、浅田彰構造と力』。今回はなぜかすいすい進み、ラさんやドゥ=ガさんの考えがふしぎによくわかる(竹田本のことがあって読み返そうと思ったのだが、デさんにはあまり触れていないのだった)。しかし、きのうも朝から家で読んでいて、ふと思った。「この納得の仕方は、人間や社会の謎がポストモダン思想によって解明できたというよりも、いかんともしがたいポストモダン思想が、すでによくなじんでいる人間や社会の姿に当てはめることでどうにか把握できる、そういう逆さまの事態ではないか」と。

そのあと外出しつつ、阿佐田哲也麻雀放浪記 青春編』を少し読む。映画は見た(こちらは19年前か)が、原作は初めて。冒頭チンチロリンさいころ賭博)をしている。ツキや運の流れというものがサイの目に出るのだから、それを読みとれるかどうかで勝負は決まる。緊張して肩に力が入ればサイの目は崩れる。そのような法則の存在が揺るぎない信念をもって独白される。ここで思ったこと。「ギャンブルとは、論理や物語のかたちをとるからこそ成立し興奮できるのではないか。理り(=断り)もしくは語り(=騙り)だ。もし本当にサイの目が偶然ではないとしても、それがたとえば微積分だの三角関数だの指数だの対数だのを山ほど含んだ方程式であったなら、その法則は論理や物語としては実感できないだろうから、存在しないも同然だ」。

さて、嘘だろと言われるかもしれないが、事件は帰宅後に起きた。こんどは内田樹映画の構造分析』を開く。短いまえがき、第1章の導入部、合わせてほんの数ページ。その時点で、あっと驚く。内田さんが満を持して述べていることは、きょう上記2冊を読んで考えた「 」内のことに、ほとんど合致するじゃないか! …ありえない。チンチロリンなら「4・5・6」の目が3回、いや30回は続くほどの吉事。サイコロの狡知。

というわけで、本日の趣旨。
(1)内田さんのまえがきは、またしても群を抜いて素晴らしい(本文に比べてではなく他の書き手に比べて)。内田さんだけは思想のツボをほんとうに取りだせる不世出の哲人なのだ。
(2)内田さんを褒めているようで、微妙に私を褒めている。
(3)この3冊の出会いは、恐るべき必然であるが、あまりに複雑怪奇な関数なので、ここには記せない。

内田樹という運がまわってきた人類は、今とてもツイている