東京永久観光

【2019 輪廻転生】

進め!電波労連

最低賃金で1カ月生活体験 千葉労連。こういう話が「へぇ↑」というより、なんとなく「はぁ↓」なのは、なぜだろう。ふと、人間の盾の戦場体験を思いだした。●ちょっと話が飛ぶけれど―。自分の何万円かのお金を戦争反対や途上国支援の活動に捧げる人はいても、たとえば公園にいる家無き人や、隣近所にいるはずの職無き人、やる気無き人に、そのお金をそのままあげるような人はいない(ように見える)。それはなぜだろう。戦争こそは世界で最も重大かつ切実な問題だからか。●私は、ときどきイラクのことを重大にも切実にも感じない自分を発見すると、「なんということだ」と哀れになりニヒルになり、あげく、寝る。しかしそれはそうと、ホームレスやリストラのことを重大にも切実にも感じない自分、イラクの人があまりよく見えないのと同じように、ふだん見ているホームレスの人もあまりよく見えない自分は、いったいどうしたらいいのだろう。●千葉労連の方々。今回浮いた金を、首を切られ家も無くした見知らぬ労働者仲間に、あるいは実際に最低賃金でCDも化粧も我慢している労働者仲間に、誰でもいいから、ぱっと捧げてみるという体験はいかがか。私自身もたまにはそういう体験をしてみてはいかがか。●誰に何の文句が言いたいのか、わからない話でした。そういうときはスケープゴートが欲しくなる。今なら日本道路公団総裁あたりだ。「税金泥棒!」 落書きなら藤井邸の壁に。


●気分転換に坂口安吾を読む。●《…アンリ・ベイル先生の余の文学は五十年後に理解せられるであろう、とんでもない、私は死後に愛読されたってそれは実にただタヨリない話にすぎないですよ、死ねば私は終る。私と共にわが文学も終る、なぜなら私が終るんですから。私はそれだけなんだ。》「教祖の文学」より。●安吾はしかし、50年後どころか同時代に喝采を浴びたようだ。その安吾が死んだのは昭和30年(1955年)。数え年でやっと50歳。ではその50年後というと、え〜と、あれ、まだあと2年! 人生は短し、著作権は長し。余の文学は五十年後に無償配布せられるであろう。●《私はただ、うろついているだけだ。そしてうろつきつつ、死ぬのだ。すると私は終る。私の書いた小説が、それから、どうなろうと、私にとって、私の終りは私の死だ。私は遺書などは残さぬ。生きているほかに何もない。》「私は誰?」より