東京永久観光

【2019 輪廻転生】

最後の一線

憲法を尊重したまま自衛隊イラクに「出す」のは、どう考えても理屈に合わない。放送業界の規制は知ってますが解釈によっては鶴瓶の**をテレビに「出す」のもアリですね、というくらい無理がある。そうすると、「だったら決まりを変えたうえで堂々と出せ」という主張は筋が通っている。「そもそもそれを出して何が悪いんだ」という根本的な問いも避けられない。●その一方で、わざわざイラクまで行ったけど「気分が乗らないから出ない」「帰る」という反則もいいのではないか。それはいくらなんでも非常識か。しかし、きょうび常識なんてどこにあるだろう。常識なんてどこでだれが守っているだろう。●それにしても、鶴瓶の騒動もタトゥーの騒動もたいへんな事件だった。誰もがついつい意見を持ってしまう。自衛隊の派兵をめぐる騒動も、似たような関心を誘うのかもしれない。しかし、「出てもいい」のかどうか、「出るべき」なのかどうか、と問われると、答えに窮してしまう。だいいち、そんなの、出ようが出まいが、どっちだっていいじゃないか。素人がまじめに論じても馬鹿をみる。鶴瓶も、タトゥーも、自衛隊も。……自衛隊も?? ●いや、自衛隊イラク派兵は、戦争や人の生死に直接かかわることなので、どっちでもいいわけではない。それが常識だ。……常識? 

●ところで、『a_gent』というサイトにはこうあった(6.28)。《フジテレビ27時間テレビにおける鶴瓶の「チンコ丸出し」事件は、まるでそんな事件などなかった「かのように」すすめられるその後の番組進行の自然さを装った不自然さが、送り手と受け手(視聴者)との間の齟齬を際立たせるかぎりにおいて、件の「t.A.T.u.のMステボイコット事件」とは全く異質のものである。それこそ、番組内において鶴瓶の事件が全くないものとして黙殺されているのと好対照に、さんまを始め番組出演者の何人かがt.A.T.u.のそれを好んでネタに取り上げようとしていた事実からも、それは明らかである。一方は確実に存在しているのに「なかったもの」とされ、他方は人々の俎上に我先にとばかりに載せられる。t.A.T.u.ボイコット事件が明るみにしているのは、その事件を(たとえ「反感」というかたちとしてではあれ)「ネタ」として共有しあうことにより温存される「日本的共同性」でしかない。》ふむふむ。

●さてさて。自衛隊は軍隊なのか。戦地に行っていいのか。戦闘していいのか。――そのような議論こそ、アメリカを筆頭にした「普通の国家」からみれば、まさに共同体内の嵐にすぎないのだ。はい、そのことは、我々自身もさすがに気がついています。しかし、それに加えて、そうした「普通の国家」という発想だって、ちょっと枠の大きな共同体の幻想かもしれないという疑いにも、我々は気がついています。●以上を踏まえたうえで――。国際政治にかかわり生死にかかわる自衛隊の問題だけは、鶴瓶の問題やタトゥーの問題とはちがって、軽んじたり曖昧にしたりしてはいけない問題なのだろうか。まあ「いけない」というのが常識のように思うが、無条件で「いけない」と思ってしまうところに、なにかもっとタチの悪い共同体性がひそんでいる、ということはないだろうか?

●それにしても、鶴瓶の事件もタトゥーの事件も、実際にテレビで目撃できなかったのが残念だ。『タイタニック』は二晩ともずるずる見てしまったのに。こうした映画にアメリカ大衆文化の総力が結集しているとしたら、わが邦のそういうものは27時間テレビなどに粋をきわめているのかもしれない。