東京永久観光

【2019 輪廻転生】

当たり前の報道?

男子大学生5人が集団で女子大学生をレイプしたというニュース(読売朝日毎日)。こういう事件にかぎり女性のプライバシーは報じられずにすむ。これが5人に殴られたとか、5人に財布を奪われたといった被害なら、マスコミは女性の名前と住所を迷わず暴露したのではないだろうか。まあ、財布を盗んだくらいなら、事件そのものがニュースにならず世間も騒がないのかもしれないが。●強姦だけは暴行や窃盗とはちがって特別に卑劣だ、特別に悲惨だ。我々はなんとなくそう感じている。でももしかしたら、そこには、女性という特殊な性を守ろうという漠然とした善意だけでなく、女性という特殊な性を守ろうという漠然とした悪意もまた横たわっているのではないか。●この問題をくっきり照らすような見解があった。松浦理英子が、いみじくもこう述べたというのだ。「レイプは女性に対する最大の侮辱」であるとは「私は口が裂けても強姦されて膣が裂けても言いたくない」。その内容とフェミニストがそれに反論した詳しい経過が、次のサイトにまとまっている。ぜひ読んでみてほしい→(1)「強姦研究」。(2)レイプ神話と「性」。松浦のこの図抜けた洞察は、もうむかし92年のものなのだが、積年の疑問をついに氷解させる閃きを有している。先日『ヘリオテロリズム』で紹介されていて初めて知った。

●それはそうと、レイプ容疑の男どもは名前と住所がそろって暴露される。「ざまみろ」と我々はつい思う。法律を犯して逮捕された者にはこのルールが一律適用されているようだ。しかし、警察に捕まったからといって、ついでにマスコミにも捕まったからといって、どうして名前が勝手に公表されてしまうのか。そういう根本的な疑問がある。私の頭がおかしいのだろうか。でもこの疑問は捨て去らないでおこう。今はまだ納得できる答に達しなくても、いつか、先ほどの松浦のような慧眼に出会って、謎が解けるかもしれないのだから。

●これにちょっと関連する話が、アサヒ・コムの子供向けページにあったので、それも紹介しておこう。池田中学校の事件で、死亡した児童や家族の写真を掲載した理由は何か、との問いに、こう答えている。《このような場合は、「肖像権より報道の自由が上回る」として写っている人の承諾なしに新聞に載せています。社会に広く知らせる必要があると考えるからです》。う〜む、子供だましとはこのことではないか。《事件や事故が社会的関心が高いもので、報道することに相当な理由がある場合は、本人の承諾なしに撮影・公表することが認められてきました》というのだが、少なくとも私は認めたおぼえがない。●なんでもかんでも知りたいという本音と、なんでもかんでも知られたくないという本音とは、まず相いれない。それだけのことではないか。だから、勝手に知らせる側は、勝手に知られる側をどうあっても踏みにじってしまうのだ。その自覚だけをちゃんと示せばいいのだ。レイプ容疑の5人が、どこに住むどんな奴で、どんな大学に通っているのかを、もちろん私はくだらない関心から知りたいと思う。かといって、それを社会に広く知らしめることに「相当の理由がある」などとは全く考えない。

●ところで「強姦」という用語は、昔は新聞では禁じられていたと記憶するが、今は使うようだ。良いのか悪いのかはともかく、なにごとも変化するということだ。報道の当たり前感覚もずっと今のままではないだろう。