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【2019 輪廻転生】

右や左の論者さま

●『〈癒し〉のナショナリズム』(小熊英二・上野陽子)。●小熊さんによる第一章「「左」を忌避するポピュリズム」。新しい歴史教科書をつくる会が、なぜ「右」に、なぜ国家や歴史といったナショナリズムに傾いたのか。そのメカニズムを「なるほど」とうなずける的確さで説明している。●藤岡信勝さん、大月隆寛さん、小林よしのりさんの発言を取り上げ、彼らはたいして「右」でもなかったのに、「左」を嫌ったがゆえに「右」を好んだのだ、と分析するところがポイント。しかも、旧来の「右」は旧来の「右」の言葉で彼らをひきつけ、旧来の「左」は旧来の「左」の言葉で彼らをたたいた。だからその言葉はピントぴったりではなかったにもかかわらず、彼らはその影響をかぶって、結局よけい「右」に傾いてしまった、というのだ。《…批判のまなざしを浴びるなかで、まなざされるとおりの存在、すなわちまなざす側が想定したとおりの存在となっていった》。●このほか、社会の現状への異議、あるいは「戦後民主主義」への批判が、60〜70年代なら「左」の言葉に回収されたのに対し、つくる会のそれは「右」の言葉に回収された、という見方も示されている。

●しかし、小熊さんの『〈民主〉と〈愛国〉』は、「悪いナショナリズム」だけでなく「良いナショナリズム」も可能ではないか、といった立場を打ち出していたように思う。で、つくる会はもちろん「悪いナショナリズム」というわけだろう。しかし、つくる会ナショナリズムの、どこがどう悪いのかの説明は、この章では不十分だ。だから、つくる会に新しい良いナショナリズムを見つけたと考えた人々には、この論考は本格的な議論の提案とはならなかったのではないか(初出は『世界』98年12月号)。それとも、つくる会なんてトンデモ集団なんだから「なぜ悪いのかなんていちいち説明しなくてよし」というのが、今や私たちの共通認識なのだろうか? ●それと、つくる会は「左」を忌避したというけれど、小熊さん自身は中立的なようでやっぱりどこか「右」を忌避していないだろうか。詳しく例示できないが、同論の結論部分や同書の序文からはそう思える。しかも、「左」の忌避は理由を検証すべきだが、「右」の忌避は良識的な選択だから検証はいらない、と考えているようにもとれる。つまり、つくる会がもしも「右」ではなく「左」に回収されていたなら、小熊さんはこれほど危惧しただろうか、という疑問はわいてくるのだ。●もしかしたら、つくる会は、そうした、なぜ「右」の忌避は当然なのか、なぜ「右」の忌避は問題にされないのか、という問いも投げ掛けていたのではないだろうか。

●ところで、貴方は「右」ですか「左」ですか。――それは「右」や「左」が何を指すのかによります。――だいいち「根源的な思想」が聞きたいのか、「表面的な好き嫌い」が聞きたいのか、どっちですか。ごもっとも。だが、そこをあえて漠然としたまま質問に答えるならどっちだろう。●私は、どちらかといえば「左」に入れてもらったほうがマシだ。でもそれは、せいぜいマシという程度だ。実際に、新聞やテレビで有識者や運動家、政治家の言動に触れているかぎり、「左」とみなされる言論や運動の多くは、つまらない、くだらない。「右」とみなされる言論や運動の多くも、つまらない、くだらない。そんななかで、つまらない「右」やくだらない「右」が非難されるほどには、つまらない「左」やくだらない「左」は、なぜか非難されない。私には、全体の状況がそういうふうに映っている。たぶんそこが小熊さんとはちょっとずれているのだろう。

●上野さんの卒論だったという第三章。つくる会に完全に批判的でもなかった上野さんは、地元の末端グループにいわば二重スパイとして潜入し、グループの集まりにたびたび顔を出しながら、メンバーの生活や思想の調査を敢行する。ある日、会合のあとの二次会で、しこたま飲んだ上野さんは、幹事T氏(44歳)のアパートに誘われ、そして……。そういう展開ではないので注意。しかし、どこか民俗調査風、あるいは、仮に主人公の語りをどんどん入れたら小説風にもなるなあと思いつつ、面白く読んだ。

●訂正連絡(毎度毎度もうしわけありません)
×藤原信勝さん→○藤岡信勝さん