東京永久観光

【2019 輪廻転生】

路傍の記憶

たまに家でギターを手にすると、むかし覚えた曲をなにげなくつま弾いている。たとえば「ブラックバード」(ビートルズ)とか。その日の調子でちゃんと弾けるときと弾けないときがある。かつては楽譜に照らして覚えたわけだが、今はただ指が動くのに任せるしかない。こうだったかな、こうだったかなと。まさしく頭ではなく指が思い出すという感じ。さて私はこの曲を「記憶している」のだろうか。

あるいは、気がつくと、よく知られたメロディーのフレーズを繰り返している。ところが、その曲の名前を忘れしてしまっている。こういうときは、どうしたらいいのだろう。曲名なり人名なりなんらか関連する言葉がないと、グーグルも頼りようがない。最近はネットさえあればあらゆることが調べられるとタカをくくっているけれど、調べがつくようなことのほうが、むしろタカがしれているのかもしれない。

しばらくして自力で思い出した。The Shadow of Your Smileだった(忘れるなよ!)。つま弾きを繰り返すうちに、そのメロディーの冒頭に乗っていた歌詞が浮かんできて、それがタイトルだった。おもしろいことに、タイトルがわかっていてメロディーが出てこないようなことはないのだな、これが。記憶というのは、やっぱり、言葉があたかも神経のように張り巡らされていて、それを手がかりにして連携が保たれていく側面が有効なのか。

じゃあ、ある響きの断片だけが頭にこびりついているが、どこで聴いたかさっぱり思い出せず、歌詞や曲名も知らないしそもそもそういうまとまった音楽だったのかどうかも定かでないとき、それでも、この響きが何なのかどうしても知りたいし、ネットで文字を介して他の誰かと分かちあいたいというようなときは、どうしたらいいのだろう。楽譜や音符にすらならないような響きというものもあるように思う。

事務なんとかの百合がどうのとかいうCDの真ん中かちょっと前あたりに入っていたたしかブラスっぽいあの…、とか、どうしたらいいのだろう。

それでも私はそういう響きを本当はいくつも強く記憶しているのだ、きっと。

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けさは、都市のまだがらんとした大通りの先にあるビルの谷間からちょうど昇ってきたばかりの太陽を目撃した。驚くような大きさだった。まるで玉子の黄身。朝飯にそばかうどんを食べたかったのだが、まだどこも店が開いていない時刻だった。