シベリウスの「バイオリン協奏曲二短調」をCDで聴いている。かなり昔、FM放送からカセットに録音したのがなぜか気に入って何度も聴いていた。その頃はクラシックなんて知らなかった。そしてその後もずっと知らなかった。だから、偶然一時的に引っかかった少数のものだけと結局そのまま長く付きあうことになる。それが人生。
しかし面白いことに、演奏のちょっとした違いがさすがによく分かる。そんなことを脳はどうやって記憶しているのか。そう考えると不思議だ。音がテープみたいにリニアに録音されて巻きあげられているわけでもないだろう。かといってパソコンみたいにデジタル化されているわけでもあるまい。
これが小説であれば、文章の言い回しが微妙に変わったとき、絶対気づけないにちがいない。音楽に比べて言葉は、声としても語としてもデジタル的なので、脳もいくらかパソコンっぽく記録や保管ができそうにも思うのだが(実際はどうかわからない)。
クラシックの熱心なリスナーは、お気に入りの作品となると、何十分単位の演奏を、微妙なニュアンスまで含めてきっちり想起できるのではないかと思う。私も3、4分程度のロックやポップスならそういうのがある。いずれにしてもなかなか魔法みたいではないか。やっぱり小説などは何回読んだとしても、数十ページでも数ページでもなかなか正確には記憶できないだろう。全体を一気に把握し想起するには、言葉より音楽という形態のほうが適しているのかもしれない。
もうひとつ不思議なのは、このシベリウスのバイオリン協奏曲を聴いていたら、頭のなかに緑色のイメージがぼうっと浮かんできたことだ。森と湖のフィンランド。その風景をシベリウスはこの響きに埋め込んだに違いない。私は芸術的天才なのだろうか、共通感覚の持ち主なのだろうか。…と思いきや、どうやらその懐かしのカセットのラベルが緑色だったということなのであった。