東京永久観光

【2019 輪廻転生】

皆もっともらしいが、自分が一番もっともらしい

http://ised.glocom.jp/ised/「倫理研第1回議事録」
↑これ、非常に面白かったが、


↓これがまた、非常に面白かった。
http://dando.exblog.jp/d2004-12-03「ブログ時評」
http://dando.exblog.jp/d2004-12-05
(コメント欄が重要なので、お忘れなく)


ネットはタフだ。
しかるべき時、しかるべき人が、しかるべく現れる。


追記:あれいつのまにかコメント欄が読めなくなっている?
《★このブログのコメント欄はリンク先のある方しか発言を認めていません。その他は非公開コメントに変えます。》とあるが、要するにまあなんだかずるいね。




それにしても、こうしてネットをうろつく者はみな(私を含めて)、
人のいうことをきいたりなんか、実は絶対しない。
言いたいことは言う。見たいものは見る。必ず。


たとえば、
べつに行けといわれて2ちゃんねるに行っていたわけではないように、
べつに行くなといわれて2ちゃんねるに行かなくなったわけではない。
あながちポピュリズムでもない。


上にあげた「倫理研第1回議事録」から
白田秀彰:いま考えているのは、ひとことでいえば「やりすぎない」ということ、つまりサイバーカスケードポピュリズムに走って、全員揃って何かやれ、というのはやめよう、ということです。たとえばつぎのようなことです。全体的価値があっても固定しない、あるいは流動させるということをネットで実現できないか。全体的価値を流動的に決定できないか。あるいは排除をしないことはできないか、つまり全体主義であれば全体的価値に関しての決定から民衆を排除してしまうのですが、その排除がなくてもうまくまわるようなアーキテクチャをつくれないか、》


…いやもう、さらっとしっかり実現してるんじゃないか、ネットって。