東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ジルベルト、『模倣犯』

先の3連休(…というか、まあ)、友人から電話。「ジルベルトのチケットが1枚余っている。急に行けなくなった人がいて。代金はもういらないそうだ」。ななななんだってえ! とうとう運が向いてきた。わが人生の時の時、というか時刻は開演30分前。とるものもとりあえず駆けつける。

東京国際フォーラムの広いホールにそっと入ると、73歳のジルベルトが、ギターだけを抱えてぽつねんと、しかし実に軽やかに歌い続けていた。まさに至福のひととき。日ごろ疲れぎみの観客はもう夢心地(人によって比喩ではない)。ところでリサイタルの途中、ある曲が終ったあと、ジルベルトはなぜか次の曲を始めようとしない。我々はただ拍手を送り続ける。するとますます黙って動かないジルベルト(彼もまた眠り込んでしまったか、というほど)。こちらも拍手をやめる気にならず、ただジルベルトを見つめ続けている。何もしないことで喜びや感謝を互いに通い合わせているような、そんな不思議な数分間だった。

ところで、年をとっても若いときと変わらず麗しく歌い続けるにはボサノバだなと思った。ロックでは難しい。フレディー・マーキュリー(クイーン)なども早死にして正解だったか。


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連休中、それ以外は、宮部みゆきの『模倣犯』を読んでいた。上下巻それぞれ約700ページあってしかも2段組。長い。週刊ポストで3年余りの連載だったという。しかし、ネット中毒の私がしばしパソコンを閉じてしまうほど、のめり込まずにいられない小説だった。

事件とその展開は派手なのだが、登場人物の多くは地味で健気に生きている者ばかり。そのぱっとしない境遇が詳細に描かれる。それが愛おしくて読みふけってしまう。宮部みゆきは常にそうだ。皆それぞれ、いかにもありそうな欠如や後悔を抱えて日々を送り、年を重ねてきている。いくつもの人物や家庭のそうした暮らしぶりとその変遷を丹念にたどっていくことが、なにより面白かったかもしれない。

よく指摘されるように、それは時として冗長といえば冗長だ。たとえば、警察の容疑者リストに上がってすぐに嫌疑が張れるような人物も、いちいち生活のなかまで覗き込んでみる。殺害された一人がたまたま上司と不倫していたなど、事件を解くカギでは全然なかったような事実にも一応触れておく。そこまで詳しくなくても、と感じるわけだ。しかし、これらはやはり、ストーリー全体の背景に少しずつ陰翳を足していく役割を果たしていると言ってもいい。主役級であろうとエキストラであろうと、みな等しく生活はあるのだし。そもそも推理小説なんて、骨子だけを簡潔にレポートされても何の楽しみにもならない(これは以前も書いた)。

それにしても、近ごろのニュースは、『模倣犯』ほどではないにせよ、あまりにひどい事件やおかしな犯人の実在を伝えてきている。でも私は意外にすぐに忘れてしまう。テレビも新聞も騒がしく深刻そうだが、どうせ一過性で不確実なのだろうという気がするせいか、犯人や被害者の性格や環境だとするレポートにも、さして興味を向けることができない。

しかし、『模倣犯』のような小説であれば、作家の宮部みゆきは、警察やマスコミと違って事件のすべてを知っている。犯人とも違って何ひとつ隠さない。読むほうも、架空の話であると知っているが、むしろそうであるがゆえに、材料をすべて与えられた思考実験として、とことん考える。事件の意味、被害者の苦しみ、加害者の動機などなど。結果的に『模倣犯』の事件は、現実の事件以上に精細な記憶になるかもしれない。少なくとも私は、『模倣犯』の被害者や犯人には、ニュースの事件以上に詳しいし、感情移入もできる。まあヘンな話だ。

ヘンな話といえばさらに――。上で言ったとおり、『模倣犯』に出てくるのは、たいてい何の変哲もない人物だ。しかも赤の他人であり架空ですらある。それなのに、たとえば、ただ事故で膝を怪我して病院の大部屋にいる印刷屋のおばさんの身の上話にまで、読者は全身で耳を傾けてしまう。それなら、遠くの親戚、いや近くの隣人についても、我々は詳細なストーリーをどれだけ知っていたっけ、などと考えてしまう。

身近な人の身の上話や打ち明け話を聞く機会というのは、案外少ないものだ。たまさかそうした場面に遭遇すれば、実はあっと驚く話も多いにちがいない。人はみな、殺人事件に巻き込まれなくても、同じくぱっとしない境遇のなかで、けっこう内緒のことも抱えつつつつ、大抵つまらないが時にはすさまじい、そんな人生をじっと長く送っている。そうした人や出来事どうしが、『模倣犯』のようには見事に出くわすチャンスがない、というだけなのだ。

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